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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2013-10-25 2013年 11月号 2週次 365qt 1814
11月 2週次

1. 十字架の死を前にして、「油をしぼる所」という意味のゲツセマネでイエス様は何をされましたか。また、弟子たちに何を頼まれましたか(34~35節)。
-> イエス様は「地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈」られ、弟子たちには「ここにすわっていなさい」と言われた。

2. イエス様は、3度にわたって身体の中からしぼり出すような祈りを神様にささげます。一方の弟子たちはどのような姿でその夜を過ごしましたか。弟子たちの姿をご覧になったイエス様のお気持ちはどうだったでしょうか(33~34、37、40節)。
-> イエス様は、十字架の働きを前に深く恐れ、もだえられ、弟子たちに「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい」と言われた。十字架の贖いは、イエス様も避けたかったほど重大で難しい働きだったことがわかる。しかし、弟子たちは「ひどく」眠く、目をさましていられず、イエス様の苦難にともにあずかることができなかった。イエス様はその姿に失望されただろう。37節でペテロに「シモン。眠っているのか。1時間でも目をさましていることができなかったのか」と失望を表される。「シモン」はイエス様が親しみを込めて呼ぶ呼び名だ。失望感の表現が、より個人的で深いものであることがわかる。

3. イエス様が苦痛の祈りをささげられているときに、弟子たちがイエス様とともに目をさましていることができなかった理由は何だと思いますか(38節)。
-> 弟子たちがイエス様の苦しみにあずかれなかった理由は、心は燃えていても肉体は弱いからだった。イエス様は弟子たちが目をさましていなければならない理由を「誘惑に陥らないように」するためだと言われた。誘惑に陥らないためには目をさましていなければならず、目をさましているためには祈らなければならない。目をさましていられなかった最も大きな理由は、心は燃えていても肉体が弱いから、つまり、祈りの訓練ができていなかったためで、ついには眠気と怠け、イエス様の苦難にともにあずかることができない怠惰の沼にはまってしまった。

4. イエス様は、3度の祈りを終えられて十字架にかかる準備をされました。「もう十分です」ということばは、「支払われた」という意味にも訳せます。そして、弟子たちには「まだ眠って休んでいるのですか」とおっしゃいました。働きにもときがあることを示している本文です。疲れに勝つことができずに眠りを選ぶことで、弟子たちが逃したものは何だと思いますか。準備ができていない弟子たちは、どう行動していますか(41~42節、参照/50節)。
-> 弟子たちが休んでいる際に逃してしまった一番大きなチャンスは、イエス様が苦しみ痛んでいるときに、イエス様の働きにあずかる栄光を失ったということである。優先順位を誤って判断したのだ。働きには時があり、タイミングがある。弟子たちは、そのタイミングを見誤ったのである。イエス様は、35節で「この時が自分から過ぎ去るように」と祈られ、41節では「時が来ました」と神様のタイミングに敏感だった。反対に弟子たちは鈍かった。もうひとつ逃してしまったチャンスは、祈って備えられなかった弟子たちが、イエス様が捕らえられるときに右往左往し、イエス様を見捨てて逃げてしまったことだ。弟子たちは、祈って危機に備える機会を逃したのである。

5. あることに没頭していて、すべきことを逃してしまった経験がありますか。その時の感情はどうでしたか。もしその時に戻れるなら、どのようにしたいですか。

6. 働きにもときがあります。祈りで備えるなら、だれかを最も適切に助け、苦難が来ても余裕を持って迎えることができる霊的な筋力ができます。最近、その機会をきちんとつかんでいますか。肉体の弱さが問題なら、それを克服するためにどのような努力が必要だと思いますか。  

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