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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2013-09-30 |
2013年 10月号 3週次 |
365qt |
1870 |
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10月 20日
1. イエス様は実がなく葉だけが茂ったあるいちじくの木をご覧になって、何とおっしゃいましたか。また、その結果はどうでしたか(14、20節)。 -> 「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように」というのろいのことばを言われ、その翌日にいちじくの木が根まで枯れているのを見た。
2. いちじくの実がならない季節だったのにもかかわらず、実がないことでのろわれたことについてどう思いますか。イエス様がこのいちじくの木をのろわれた本当の理由は何ですか(13~14、21節)。 -> 一見、いちじくの実がならない季節であるという点から、イエス様がいちじくの木をのろわれたことは正当ではないように見える。しかし本文では、「葉のほかには何もない」と語っている。本文の時期は4月なので、まだ熟したいちじくの実がなる5月にはなっていなかった。しかし、幼い実がなりはじめる時期であるということをふまえて見ると、イエス様が「何かありはしないか」とその木のところへ来られのに何も差し出すことができなかったいちじくの木だということになる。この出来事を目撃した人が弟子たち以外にいなかったところをみると、弟子たちに教訓を与えるためだったのだと考えられる。
3. いちじくの木に対するのろいとその成就という出来事の間にどのような出来事があり、実のないいちじくの木と宗教指導者をはじめとするイスラエルの民の間にはどのような関係があると思いますか(15~18節)。 -> 宮に入られたイエス様は宮の中で売り買いしている人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、宮の中を通り過ぎることをお許しにならず、「すべての民の祈りの家」を強盗の巣にした者たちを厳しく批判された。宮を強盗の巣にしたイスラエルの民だけでなく、彼らを正しく教えなければならない宗教主導者たちさえもイエス様の行動に不満を持つという全体的な霊的腐敗は、実のないいちじくの木に象徴されている。 4. あなたは、実のないいちじくの木が枯れてしまったできごとを読んで、神様の御名や宗教的な名声に便乗して自分の利益を求めようとする態度に気付いたり、あるいは最近の自分の罪を気付かされるみことばを聞いたことがありますか。
5. イエス様が、実のないいちじくの木が根まで枯れてしまったのを目撃した弟子たちに与えられた3つの教訓は何ですか(22~25節)。 -> 第一に、「神を信じなさい」(22節)。心の中で疑わなければ、山に向かって海に入れと命じても言ったとおりになるだろう。第二に、「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」(24節)。祈りの答えの確信について教えられたものである。第三に、「祈っているとき、他人を赦してやりなさい」(25節)。そうしてこそ、神様が私たちの罪も赦してくださるのだとおっしゃられた。まとめると、信じて祈りつつ、まずは他人を赦しなさいということである。赦しなしに、信仰なしに私たちがする祈りは、力のない祈りになるだろう。
6. 私たちが人生の中で結ぶべき実は何でしょうか。互いに分かち合い、実を結ぶことができるように祈りのときを持ちましょう。
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目録
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