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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2013-08-22 |
2013年 9月号 5週次 |
365qt |
1878 |
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9月 29日 GBS
1. カペナウムに着いたイエス様が弟子たちに質問された内容は何ですか(33節)。 -> イエス様は弟子たちが論じ合っていた内容が何かを知っておられたが、弟子たちにそれを再び思い起こさせるために質問した。
2. 弟子たちが黙っていて、答えられなかった理由は何ですか(34節)。 -> 彼らはだれが一番偉いかと論じ合っていた。そんなことを論じ合っていたこと自体が恥ずかしく、答えることができなかった。
3. イエス様が問われた弟子たちの言い争いの内容は、すべてを捨ててイエス様に従っていた彼らの心の奥には、どのような考えがあったことを明らかにしていますか(参照/マタ19:27、20:21)。 -> 弟子たちには、自分が捨てた分だけ、同じ原理でこの地で報いを受けることができるだろうという期待があった。イエス様がキリスト(メシヤ)としてエルサレムで権力を握れば、自分たちはそれぞれ位に就くことができるだろうと考えたのである。
4. このとき、イエス様はどのようなことを語られますか(35節)。この話をされながら、イエス様が子どもを例に挙げてお話になった内容は何ですか(37節)。どうしてこのようなみことばを語られたのでしょうか。 -> イエス様は、人の先に立ちたいと思う者は、もっとも低き者となって仕えなければならないとお話しになった。これは、世の価値基準をひっくり返す概念である。また、当時もっとも低い者とされていた幼子を受け入れ、子どもに仕えることがすなわちイエス様を受け入れることであり、神様を受け入れることだとお話しになった。イエス様は、神の国の権威は世の価値観とは全く異なるもので、自分を高めるためにイエス様に従うということはありえないということを教えられた。
5. 私たちも弟子たちと同じように、神様と共同体に対して献身し、労苦するほど、それに値する評価と待遇を期待することがしばしばあります。自分の中にいつそのような心が生まれるのでしょうか。振り返って分かち合ってみましょう。
6. イエス様は子どもを立たせて、この幼子を受け入れることがイエス様と神様を受け入れることだとお話しになりました。もっとも低き者に仕えて奉仕することは、神様に仕えることと同じ価値を持つということです。私たちが高くなろうとする心を捨てて、共同体の中でわたしに担える奉仕が何なのかを分かち合って実践してみましょう。
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目録
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