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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2013-06-26 |
2013年 7月号 3週次 |
365qt |
2312 |
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7月 21日 GBS 1. ミカはこの前に、サマリヤ(北イスラエル)が偶像礼拝と淫らな文化により滅亡することを宣言しました(参照/6~7節)。その後、サマリヤに臨んだ神様の怒りは、引き続きどこへ向かっていることがわかりますか(9、12節)。 -> ミカは、サマリヤを回復できない破滅へ至らせたその罪が、ユダでも繰り返されているので、ユダも間近に迫る災いを避けることはできなくなったという緊迫性を「エルサレムの門に達する」と表現している。
2. 大きな災いが北イスラエルで起こり、引き続き南ユダにも迫っていることを見つめるミカは、どのように反応しますか(8節)。 -> 8節でミカは「嘆く」という意味の表現を5回、異なる方法で繰り返すことで、彼が深くて強い悲しみにとらえられたことを表現している。
3. 預言者ミカは、ユダの12の町、つまりガテ、ベテ・レアフラ、シャフィル、ツァアナン、ベテ・エツェル、マロテ、エルサレム、ラキシュ、モレシェテ・ガテ、アクジブ、マレシャ、アドラムを順番に挙げながら何を語りますか。また、その理由は何でしょうか(10~15節)。 -> それぞれの町が悲しみと恥を受け、嘆くことを繰り返し語っている。これは、神様のさばきが首都エルサレムだけに臨むのではなく、ユダのすべての町の中でこうした苦しみがあることを語るためである。
4. ユダの霊的な状態はサマリヤと大きく違いありませんでした(参照/5節)。ミカは、彼らは結局どのようになるだろうと預言しますか(16節)。 -> 5節でミカは、サマリヤが主導的に罪を犯し、ユダはエルサレムがそむきの中心地だったことを並行法で表現している。このふたつの町に象徴されるふたつの国は、結局、神様を離れて罪を犯し、偶像礼拝をしたことにおいて変わりはなかった。ついに神様の怒りを受けた民は、北イスラエルがそうであったように、「捕らえられて去って行く」ことになるだろう。この災いはミカの時代には起こらなかったが、その後B.C. 586年のバビロンの侵略によって成就した。
5. 今日の本文は、災いと滅亡という事実も語っていますが、そのためにどれほど大きな苦痛が臨むのかを、預言者自身と12の町の住民の姿を通じて示しています。預言者ミカが語る悲しみと苦痛が、私たちそれぞれにどのように感じられるのか話してみましょう。
6. 今も私たちは、民族と教会が神様の御心に従ってまっすぐに立つことができず、罪の道を歩んでいる姿を見ています。神様の正義の前に、恐れなければならないことには何があるでしょうか。こうした姿を見つめる聖徒は、どのような心を持たなければならないでしょうか。
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目録
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