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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2012-04-24 2012年 4月号 5週次_今なお残っている望み 365QT 2178
今なお残っている望み
エズラ記 10章1節~8節


*心の扉を開き

私たちの人生は、常に信仰の中で勝利し、喜びに満たされているだけではないということは、皆さんもよく知っていることだと思います。ある時は、私たちの前に広がる多くの外部の苦難はもちろんですが、私たちの内面の姿に失望して、挫折し、神様を見上げて祈ろうという希望さえも弱くなる時があります。今、イスラエルの民の状況が、そのような時です。
彼らに希望があるでしょうか。彼らはこの難関を、どのように克服しなければならないでしょうか。今日の聖書箇所を通して、イスラエルの民の罪による挫折と失望がどのように克服されたかを見ながら、私たちもまた、困難の中からどのように希望を握り、乗り越えることができるか、調べてみましょう。


*みことばの種まき

1.今日の聖書箇所で、神殿の前にいるエズラと民の姿はどうですか(1節)。

:エズラが神様の宮の前でひれ伏し、涙ながらに罪を告白していると、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まってきて、激しく涙を流して泣きました。

2.民の罪のために完全に失意に陥ったエズラに、エヒエルの子シェカヌヤが言った言葉は何ですか(2~4節)。

:「私たちは、神に対して不信の罪を犯し、外国の女をめとりましたが、イスラエルに、今なお望みがあります。私たちは、神に契約を結び、主の勧告と、神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」

3.今日聖書箇所のように、ゼカリヤが、イスラエルには今なお望みがあると言うことができる根拠が、どこにあると思いますか。(2~4節)

:イスラエルの望みの根拠は、神様の御前で、主の勧告に従い、神様の命令を恐れて従う者たちに残っており、彼らが、また教えているからです。 また、その教えに従って神様と契約を結び、律法に従って行うイスラエルの民が残っているという事実です。

4.エズラは民の罪を嘆き悲しみ、断食します。エズラは泣きながら祈って罪を告白し、多くの民と共に激しく泣きました(1節)。エズラの罪に対する反応と、姿勢を見て何を感じますか。

:神様の御前で、民族の罪に重荷を負い、激しく泣き、断食するエズラを見ながら、私にも自分自身、あるいは民族の罪に対して心を痛め、悲しむ心があるか、自問してみましょう。イスラエルの民は、一人、二人が民族の罪のために祈り告白していく中で、すべての民が共に激しく泣きました。私たちも、民族のためのとりなしの祈りをささげましょう。

5.すべての民が主に立ち返るために、罪に対して敏感になり、主の勧告に従うことを、もう一度誓いましょう。悔い改めとは、悲しむだけで終わるのでなく、立ち返って新しい行動をすることです。国と民族、社会の中で、背を向けるべき罪は何か、また新たにあなたが行動しなければならない部分があるならそれは何か、考えてみましょう。

:私たちの周囲のすべての領域が腐敗しており、罪が氾濫していることを告白します。私たちにはこのように欠けも多く罪もありますが、なお望みを持つことができます。神様のみことばとそのみことばに真実に従おうとする主の民が残っているからです。

6.今、あなたが真剣に悩み悲しむべき罪があるとしたらそれはどんなことでしょうか。それを改め、歩みを進めるべき場所はどこでしょうか。分かち合ってみましょう。


*生活の実を刈り取り

民族と国、社会と私自身の中にあふれ出る罪を見つめて、私たちは失望せざるを得ません。しかし、私たちには、今なお望みがあります。聖書を通してみことばを得てこのみことばに従おうとする主の民がいるからです。何よりも、主の民に、罪に対する敏感さ、もう一度立ち返ることのできる決断と勇気を、聖霊が与えてくださるからです。神殿建築は、外見の完成を完成とするのではありません。イスラエルの民が新しくされ、神殿を通して霊的な恵みを受けるようにならなければなりません。また、民を囲んでいる城壁、つまりみことばの基準が完成されてはじめて本当の完成とみなされるのです。生涯のミニストリー、すなわち私たちの中の神殿の完成を夢見て、改めて罪に対する痛み悲しみをもって主の御前に出て行きましょう。そして改めなければならない心のけがれや罪がないかを点検してみましょう。
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