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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2023-04-17 2023年 4月 5週次 365qt 93
2023年4月GBS5課
サムエル記第一23:1〜5

まず先に神様に聞く人生

『老人と海』の作家、アーネスト・ヘミングウェイは「私たちは人生において、最も重要な岐路には道標がないということを知っておかなければいけない。」という言葉を残しました。人生は本当に様々な道があります。まっすぐな道や曲がった道、上り坂や下り坂があります。また行き止まりもあれば、抜け道もあります。その中でも人を最も悩ませる道は「岐路」です。選択が伴うからです。しかも人生の岐路には道標がなく、その選択は人に課せられた役目です。選択の岐路に立った時、世の人は自分の考えと判断、または直感と理性に従ったり、人にアドバイスをもらったりします。本文に出てくるダビデの姿を通して、選択の岐路に立つとき聖徒はどうすればいいのか見ていきましょう。

1.ダビデが民から聞いた知らせは何ですか。ダビデはこれに対しどのような行動をとりますか(1〜2a節)。神様はダビデの行動にどのように答えましたか(2b節)。
—ダビデは民から「ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」との知らせを受けます。ダビデはこれに対し「行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。」と神様に伺います。神様は「行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」と命じます。

2.ダビデの部下たちは「ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」と命じられたとき、どのように答えますか(3節)。
ダビデの部下たちはペリシテ人を討ち、ケイラを救えと言われ、「ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」と反対します。彼らの言葉から、当時彼らにとって、最大の脅威はサウルだったということがわかります。特に「ペリシテ人」を指して、「ペリシテ人の陣地」と言ったのは、ペリシテ人が訓練された強力な軍人たちによって構成された軍隊だったということを表しています。したがって、サウルから追撃され、脅威にさらされた状況であった中、サウルよりも、より強力な軍隊を持ったペリシテ人たちと戦うことは無謀なことであり、彼らにとって大変なプレッシャーだったのです。

3.ダビデの部下たちはサウルから追撃されている状況の中、ケイラを救うため、ペリシテ人たちと戦うことは無謀なことだと思いました。そんな状況の中、ダビデはどのような行動をとりましたか。その理由は何ですか(参照/詩27:7、Ⅰ歴16:9)。
—ダビデの部下たちは、ペリシテ人を討ち、ケイラを救えという命令に反対しました。そこで、ダビデはもう一度神様に尋ねました。
このようにダビデは自分の部下たちの否定的な態度を見て、「これは神様のみこころではない。」と諦めたりしませんでした。だからといって、彼らを説得したり、彼らの反応を見て、計画を変更したりしませんでした。ダビデはただ神様にもう一度尋ねたのです。
—ダビデがこのように反応した理由は、「主はその御目をもって、全地の隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださる方。」(Ⅰ歴16:9)ということを信じ、「わたしが声をあげて主を叫ぶ時、主があわれみ、答えてくださる。」(詩27:7)ということを信じていたからです。
また、ダビデが神様にもう一度尋ねた理由は、彼が神様のみこころだということを完全に信じられなかったわけではなく、神様のみこころに従うことをためらう民を、励まし、確信を与えるためでした。実際のところ、ダビデが神様にもう一度尋ねると、神様はダビデに「さあ、ケイラに下って行け。」と命じ、「わたしがペリシテ人をあなたの手に渡す。」と約束してくださいます。神様の答えはダビデの部下たちを安心させるのに十分な答えでした。

4.ダビデは、神様の答えを聞いてどのような行動をとりますか。そしてその結果はどうでしたか(5節)。ダビデがこのように行動した理由は何ですか。
—ダビデは「ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をダビデの手に渡す。」と約束してくださった神様のみことばに従い、自分の部下とケイラに行きペリシテ人を討ち、彼らの家畜を奪い返し、大損害を与えました。ダビデはこのように神様の助けを受け、神様のみこころに誠実に行い、事を成し遂げ、ケイラの住民を救いました。ダビデは部下からの反対にもかかわらず、神様から2回いただいた答えを通して、ケイラに行きペリシテ人を討つことは神様のみこころだということを確信し、神様のみことばに従順しました。神様はダビデをイスラエルの王として立たせてくださったので、ペリシテ人から苦しめられている民を救い、守ることは、王として当然のことであり、そんな状況を黙って見ていることができなかったのです。
とくに「大損害を与えた。」という表現は、ダビデがサウルの指揮下にいながら、ペリシテ人と戦い大勝利を収めたときにも使われましたが、これはダビデがサウルの追撃に受けている状況の中でも、依然として、神の民を守ろうという「熱心な思い」は冷めることなかったということであり、また、神様がダビデとともにおられたので、王になるものに必要な軍事力も絶対に衰退することがなかったということを表しています。

5.聖徒は選択の岐路に立つとき、自分の考えと判断、また直感や理性に従ったり、人のアドバイスに頼ったりする前に、神様のみこころを伺わなければいけません。あなたは選択するとき、まず先に神様に聞いているでしょうか。

6.神様は聖徒が選択の岐路に立つとき、まず神様のみこころを伺うことを求めておられます。すべての選択において、神様のみこころをまず伺う者となるために何を決断するか、分かち合ってみましょう。

「民の言葉に従うか、それとも神のみこころに従うか。」神様が立てられたイスラエルの次期指導者として、ダビデはケイラを救うため、選択の岐路に立ちました。ダビデは逃亡者の身分で自分の身を守ることさえも大変な状況の中でも、揺るがない信仰の姿勢を見せ、民の言葉ではなく、神様のみこころに従いました。その結果ペリシテ人に相手に、大勝利を収め、ケイラを救いました。ダビデが神様のみこころに従い、ケイラを救い、「イスラエルの王」として初めて凱歌をあげることができたのは、彼が行動に出る前に「まず先に神様に伺った」からなのです。神様は聖徒が選択の岐路に立つとき、まず先に神様のみこころを伺うことを求めています。聖徒が選択の岐路に立つとき、まず先に神様のみこころを伺い、そのみこころに従うとき、神様の御業があらわれるでしょう。

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