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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2023-04-17 2023年 4月 4週次 365qt 91
2023年4月号GBS4課サムエル記第一21:1〜6

律法に込められた神様の真心

ヴィクトル・ユゴーの小説である『レ・ミゼラブル』の主人公であるジャン・バルジャンは貧しさと寒さの中、お腹を空かせた7人の姉の子どもたちのために一本のパンを盗みます。彼は窃盗罪で懲役5年の実刑を受け、何度も脱獄を試みた結果19年間監獄生活を送ることになってしまいます。ジャン・バルジャンは盗みをはたらき、法を犯したことに間違いはありません。しかし多くの人は、そんなジャン・バルジャンに対する処罰が厳しすぎるのではないかと言います。彼の哀れな背景と状況を考慮せずに、法というものさしで彼を厳しく罰したからです。このような姿はイスラエルの民に当てはめてみるとイスラエルの民がどんな姿勢で、律法に従うべきだったかがわかります。ダビデのストーリーを通して、聖徒はどのように神様のみことばを私自身とまた隣人に適用しなければいけないか、見ていきましょう。

1. ダビデがノブの祭司アヒメレクのところに来たとき、彼はダビデに何を聞きましたか。そしてダビデは何と答えましたか(1〜2節)。
ダビデはサウルから逃れ、ノブの祭司アヒメレクのところに行きました。アヒメレクはダビデに「なぜ、お一人で、だれもお供がいないのですか。」と言いました。サウルとダビデが対立関係にあるという噂は知れ渡っている中、一人で訪ねてきたダビデを見て疑問に思ったのでした。ダビデはアヒメレクの質問に、「王の命令を受け、誰にも知られないように行動している。」と答え、アヒメレクは彼のことばを信じました。

2.ダビデはアヒメレクに何を要求しましたか。アヒメレクはダビデの要求にどう答えましたか(3〜4節)。
—サウルから逃れてきたダビデとその一行は、長い間食事もとることができない状況でした。ですからダビデはアヒメレクに「今お手もとに何かあったら、パン5つでも、ある物をください。」と言い、食べ物を要求しました。ダビデの要求にアヒメレクは「手もとには、普通のパンはありません。ですが、聖別されたパンはあります。もし若い者たちが女たちから身を遠ざけているなら、それをあげよう。」と答えました。

3.アヒメレクはパンを要求したダビデに何をあげましたか。アヒメレクがダビデにあげたパンは、律法によれば誰のためのパンでしたか(6節、参照/レビ24:8〜9)。
—アヒメレクはダビデに聖別されたパンを与えました。この聖別されたパンは、供えのパンでした。これは一週間に一回、新しいパンに置き換えられるものです。聖所から取り出した古いパンは、アロンとその子ら、すなわち祭司たちだけが、これを聖なるところで食べることができました。しかしアヒメレクは祭司でないダビデとその部下たちに供えのパンを与えました。

4.この出来事に対し、イエス様はパリサイ人に「私が喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。」と言われました(マタ12:1〜3,7)。イエス様の教えと照らし合わせてみて、ダビデが律法を犯し、供えのパンを食べたにもかかわらず責められなかった理由はなんでしょう(参照/ガラ5:14)。
—パリサイ人は、安息日にイエス様の弟子たちが麦畑の穂を摘んで食べたことを非難しました。弟子たちの行動は安息日にはしてはいけないことだと考えたからです。この時イエス様はパリサイ人たちに対し、ダビデと供えのパンのことを話され、「私が喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。」と言われました。パリサイ人たちは律法の細かい内容までもすべて把握していましたが、律法の精神については全く理解していなかったのです。ダビデは律法に背いていると非難されるような行動をとったことは確かです。しかしダビデとアヒメレク二人とも、神様から罰せられることはありませんでした。なぜならば、あわれみ深い神様は律法を守る行いよりも、それを行う者の心と動機をより大切にする方だからです。律法は愛に基づくものなのです。

5.神様はみことばを行う者の心と動機を大切にする方です。あなたはみことばの中にこめられた神様の思いをよく悟り、神様の愛とあわれみを実践していますか。

6.聖徒は神様がみことばをくださった目的を悟り、従う努力をしなければいけません。神様はいけにえではなく、真実の愛を喜ばれます。私たちの命を生かそうとされる神様の御心を成し遂げるために、私は何をしなくてはいけないかともに分かち合いましょう。


  
神様が律法をくださった理由は、従順を通して神様の思いを悟り、律法を行うことによって、命を生かし、神様の愛を伝えさせるためです。ダビデは祭司だけが食べることを許されている供えのパンを食べたことにより、律法に背きましたが、何の罰も受けませんでした。なぜならば律法にこめられた神様の真心はあわれみと愛だからです。神様のみことばを守ると言いながら、人の命をなおざりにし、人を傷つけたりすることは、神様のみこころではないからです。聖徒は、神様から受けた恵みを覚え、一つ一つのたましいを助け、彼らを良き道に導かなければいけません。このような牧者の心をもってみことばを実践する時、神様が喜ばれる美しい実が結ばれるだけでなく、神様が栄光を受け取られるでしょう。


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