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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-09-02 2022年 11月 2週次 365qt 115
2022년 11월 GBS2과 사사기 16:1~2、 20~30

눈길 가는 것을 따르지 말고 주님을 따르라
自分の視線の向かうものを追い求めるのではなく、神様に従いましょう
마음의 문을 열며
スペインのプロゴルファー、セルヒオ・ガルシアは、パッティングのとき、目をつぶって行うということで有名です。なぜパッティングを目をつぶってするのでしょうか。それは、ほかのことを考えず、集中力を高めるためだそうです。ゴルフでパッティングするとき、視覚から入って来る情報を遮断して集中する選手は多くはありませんが、射撃や競馬のようなところではよく見られる方法です。照準を合わせるときに片目を閉じたり、競走馬の目を隠したりするのは、集中力を高めるために考案された方法です。このように私たちの信仰も、無分別に入って来るいろいろな情報を遮断し、神様に集中することができる力を持たなければなりません。さばきつかさサムソンの話を見ながらどのようにしたら神様にもっと集中できるかを考えてみましょう。

말씀의 씨를 뿌리며
1. サムソンがガザで遊女のところに入ったのはなぜでしょう。この行動の結果サムソンはどうなりましたか(1~2節)。
- サムソンが遊女の所に入ったのは、彼女を「見つけ」たから (1節)である。遊女を見て彼女の所に入ったサムソンは命の危機に瀕することになる(2節)。
2. サムソンは、女性問題によって繰り返し危機に陥ります。それは、彼が何を基準にして行動していたからでしょうか(参照/14:7、17;Ⅰヨハ 2:16)。
- サムソンが女性によって危機に陥るのは、一回のことではない。過去にも彼はティムナのペリシテの女が気に入って、彼女と結婚することによって危機を通った。その人生の最後にも、デリラという女性に誘惑された。彼は結局自分の「目の誘惑」(Ⅰヨハ 2:16)に従ってしまったからだ。自分の目から入ってくるものを基準にして行動するなら危機が訪れる。

3. サムソンは力を失っても何を悟れないでいましたか。彼の力の唯一の根源は何でしたか(20節、 参照/14:19、15:14)。
- サムソンは力を失っても、主が自分から去られたことを知らなかった(20節)。
- サムソンが危機的状況にあっても怪力を発揮できたのは、彼がもともと力があったからではなく、主の霊が彼に臨んだからだった。ティムナの女の誘惑でペリシテの人々との賭けに負けたとき、神様の霊がサムソンに臨み、彼らから略奪する力を発揮した(14:19)。また同族であるユダの人々の裏切りによってペリシテ人たちに引き渡されたときにも神の霊が臨み、綱を解き、ペリシテ人たちを撃ち殺した(15:14)。

4.力を失ったサムソンはどんな境遇となりましたか。目が見えなくなったサムソンが初めて神様に集中し、願い求めたとき、どんなことが起こりましたか(21、28、30節)。
- 力を失ったサムソンはペリシテ人たちに目をえぐり出され、牢の中で臼をひく者となった。目が見えなくなって、彼は初めて神様の前に出て、また力をくださいと願った。最後の瞬間に力を回復し、イスラエルを苦しめていたペリシテ人3000人を殺し、自分も死を迎えた。

5. 神の人はこの地を生きるにあたり、目の欲に従ってはならず神様とともに歩むことに力を尽くさなければなりません。あなたは自分の目が行く方を選択せずに、聖霊に従って選択する生き方ができていますか。
6.神様は自分の目の向かう方に邁進するのではなく、神様に求める人に危機を克服する力を与えてくださいます。今日、この世が見せる華やかなものではなく、神様にだけ集中するために何を決断しますか。

삶의 열매를 거두며
サムソンは目の欲に従ってその一生を生きました。彼は目で見て良いと思える女たちを分別なく選択するということを繰り返し、多くの危機的状況を通りました。神様はさばきつかさである彼とともに歩み、彼に危機的状況を打開することのできる大きな力をずっと与えてくださいましたが、彼は神様に耳を傾けることをせず、自分の目で見てよいと思えるものだけを選択して生きました。自分の目を失って、サムソンは初めて、神様に完全に委ねて自分の民族を苦しめたペリシテ人たちを大勢死に至らしめるという業績を成し、自分も死に至ります。数多くの視覚からの情報があふれる今の時代ですが、もし自分の目で見てよいと思えるものだけを追い求めて生きているなら、振り返ってみる必要があります。自分の視線の向かうものから視線を離し、本当の力の根源となられる聖霊に耳を傾ける主の弟子として生きましょう。

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