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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-09-02 2022年 11月 1週次 365qt 122
2022년 11월호 GBS 1과 사사기 15:1~13
この世に順応せず、信仰を守る
불순응의 신앙을 가지라

마음의 문을 열며
ジョン・ストット牧師は『弟子道』(The Radical Disciple)の中で、「世から逃避して聖さを保とうとしてはならず、世に順応して聖さを犠牲にしてもいけない」と言いました。これはイエス様の弟子として世で証人としての使命を担って行くためには、逃避主義にも順応主義にも陥らないように注意しなければならないということです。そのような意味で今日のサムソンとペリシテ人の戦いの中でユダ人たちの姿を見ることは非常に意味深いことです。この世でクリスチャンとして生きる私たちにも起き得る問題だからです。さばきつかさサムソンの話を通して、世に順応しつつも聖さを失わず、イエス様の弟子としてのアイデンティティを守り、世にあって勝利する恵みを味わいましょう。
말씀의 씨를 뿌리며
1.サムソンが妻を探しに行くとき、どのようなことが起こりましたか。妻の父親はサムソンにどんな提案をしましたか(1~2節)。
- サムソンは小麦の刈り入れのときに、子やぎ一匹を持って妻の所を訪ねた。妻の父親はサムソンの妻であり自分の娘であるその女を、他の男の所に嫁がせたことを伝えた。
- 困った父親は、サムソンへ、妹が姉よりももっと美しいのだから妹を妻として迎えるよう提案した。

2. サムソンはペリシテ人にどんな損害を与えましたか。非常に大きな経済的損失を被ったペリシテ人たちは、サムソンにどんな復讐をしますか (4~6節)。
- 妻の父親とペリシテ人たちに対して怒ったサムソンは、野に出て、ジャッカル三〇〇匹を捕らえ、尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にたいまつを取り付けて、実りの時を迎えていた麦畑の中に放した。収穫の時を迎えて束ねてあった麦、立穂、オリーブ畑に至るまで燃やしてしまった。
-ペリシテ人たちは非常に大きな経済的損失を被った。このようなことをしたサムソンに復讐するため、彼の妻の父と、サムソンの妻であった女を火で焼いて殺した。

3. サムソンがペリシテ人たちの穀物を焼いたことはどのような意味がありますか(士16:23、参照/Ⅰサム5:2)。サムソンはペリシテ人が妻とその父親を火で焼いて殺したとの知らせを聞いてどんなことをしますか(7~8節)。
-サムソンがペリシテ人たちの収穫物を焼いた事件には重要な意味があった。ペリシテの地域は穀倉地帯であった。彼らは主に農業をして生きていた。サムソンがティムナに来た時期が麦を収穫する時期であった。そしてペリシテ人たちの崇拝していた最も重要な神、ダゴンも、穀物の神であった (士 16:23、 参照/ Ⅰサム 5:2)。それでサムソンがペリシテ人たちの穀物を焼いたことは、ペリシテの経済の心臓を突き刺すような攻撃に値する行為であり、自分たちの神を冒涜する行為とも受け取られた。
-サムソンはペリシテ人たちが妻とその父を火で焼いて殺したと言う知らせを聞いて、それを自分に対する挑戦として受け取った。ペリシテ人たちを「取りひしいで、激しく打った」。これは「足腰を打って打撃を与えた/殺戮したという意味の慣用句である。


4. サムソンとペリシテ人たちの間の戦いはユダとペリシテ人の戦いへと広がっていった。ペリシテがユダに陣を敷くと、ユダの人たちはどうしましたか(11~12節)。ユダ人たちがさばきつかさサムソンを捕らえ、ペリシテ人たちへ引き渡す場面にはどのような意味があると思いますか(士1:2~4)。
-ペリシテがユダに陣を敷くと、ユダの人たち3000人がエタムの岩の裂け目に隠れていたサムソンを訪ねて来た。ユダの人々はサムソンに「ペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか」と言い、サムソンがペリシテを攻撃したことに対して、「してはならないことをした」「不当なことだ」という意味で攻め立てた。ユダの人々はサムソンを殺さず、縛ってペリシテに引き渡すつもりであると言った。
-ユダの人々はサムソンがペリシテ人たちを攻撃したことについてありがたく思うどころか、どのような行動をとったサムソンを責めた。このことは士師記一章でユダが神様の命令に従ってカナン人と戦おうとしたときに見せた積極的な姿と相反するものだ(삿 1:2~4)。さらにはペリシテの兵士は1000人だが、ユダの人々は3000人という強大な軍事力を持っているにもかかわらず、戦うどころか、さばきつかさサムソンに怒りをあらわし、サムソンを捕らえてペリシテに引き渡すと言う。このような姿は当時のユダを含むイスラエルの民が、神様がくださる約束の地を完全に取ろうといった考えはなく、ペリシテの統治に従い、抵抗せず、ひざまずいてそれを受け入れる姿勢であったということを赤裸々に見せるものです。


5. あなたは世から逃避したり、逆に順応したりせずに、イエス様の弟子として世で区別された生き方をしているでしょうか。

5. イエス様の弟子として世に流されず、区別した生き方をして生きていくために、どんな努力をしますか。
삶의 열매를 거두며
神様は私たちが世から隔離された人生を生きるようにとは言っておられません。世で仕える主のしもべ、証人の生き方をするために、世に順応することなく、アイデンティティを守り、区別された生き方をするようにと語っておられるのです。ポストモダニズムと物質万能主義が広まっているこの世にあって、聖な民として信仰を守って生きることは決して易しいことではありません。しかし私たちがサムソンを捕らえてペリシテに引き渡したユダの人たちのように、この世にあって安全や安楽を求める順応主義に陥って生きるなら、この地で神様の国を建てる栄光に満ちたわざに加わることは不可能です。ですから振興を守り、困難な社会にあっても、順応はせず、固く信仰を守り、ただ神様のみことばに従いイエス様の弟子としてアイデンティティを守って勝利する生き方をしていきましょう。

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