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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-09-02 2022年 10月 2週次 365qt 120
2022년 10월 GBS 2과 삿 8:21~35
唇とこころの乖離を克服せよ
마음의 문을 열며

北宋の有名な政治家司馬光は『資治通鑑』で、唐王朝の李林甫を非難しています。皇帝にごまをすって暴政を行う李林甫の姿について「口では甘い言葉を言うが、腹の中では剣を持っている」と評しています。このように、昔からうわべではいい言葉を言うものの、内側では違う心を抱く態度は、典型的な不忠の姿として見られています。神様も、うわべではいい言葉を言うものの内側では異なる思いを抱く者たちに対しては、彼らが自ら罠に陥って倒れるように放っておかれます。神様に従順に従って勝利を得たギデオンとイスラエルの民ですが、彼らも罠にはまってしまいます。このような彼らの姿を見ながら失敗を繰り返さないようにするなら何をするべきか共に考えてみましょう。



말씀의 씨를 뿌리며
1. ギデオンがミデヤンの王たちであるゼバフとツァルムナを打った後、イスラエルの民は彼にどのようなことを願っていますか。これに対しギデオンはどのように応えていますか(22~24節)。
―ギデオンはミデヤンとの戦いで勝利した後、逃走するミデヤンの王ゼバフとツァルムナを最後まで追撃し打った。 イスラエル人たちは彼らを長い間支配したミデヤンの王たちを打ち負かしたギデオンに王になって欲しいと言った。しかしギデオンは神様がイスラエルを治められると言い王位を拒んだ。ギデオンはイスラエル人に戦利品として耳輪を要求している。

2. イスラエルの王になることを拒んだギデオンが耳輪を求めた行動にはどのような意味がありますか。彼の行動はどんな結果をもたらしますか(26~28節)。
―王位を拒んだギデオンは、民に耳輪を戦利品として求めましたが、これは実際、王たちがする行動であった。彼が民から実際に受け取った戦利品の量も王の金庫に匹敵する量でした。つまりギデオンはうわべでは王位を拒んだが、実質的には王のように行動したのであった。そんなギデオンは祭司のような行動もとっている。祭司にだけ許されたエポデを金で作り自分の家に置いたが、これは神様が許しておられない身分の人が、神様が許しておられない場所で神様を礼拝する物品を個人所有として置いたということになる。ギデオンを王として扱い仕えたイスラエルは、そのエポデを「慕って、そこで淫行を行った」のだが、これはつまりギデオンはうわべでは神だけに仕えると言ったが実際には自分は王のようになり人に仕えられ、さらには神のように行動し民が間違った奉仕をするように誘導したのであった。この行動がギデオンとその一族にとってわなとなった。


3. 神様はミデヤンの支配を受けていたイスラエルの民に対してギデオンを通し、驚くべき回復をくださったが、ギデオンが死ぬとどのようなことが起こりましたか。民はなぜこのような行動をしたのでしょうか(33~34節、参照/士 2:19)。
―神様がイスラエルの民に回復を下さったにもかかわらず、ギデオンの死後イスラエルは神様に背いた。 (33、34節)。「主を心に留めなかった」(34節)というのは背を向けた、また神様を裏切ったという意味で、民が神様から離れ去り「淫行を行った」という風にも表現される。民がギデオンに仕えようとし、エポデを慕ったという行為は聖書で「淫乱な行為」とみられている。神の民が神ではないほかのものに仕える行動はすべて彼らの本当の救い主である神様に仕えない裏切り行為であり、淫行とも同列の行為であると考えられるからだ。民は苦しみから逃れようとさばきつかさの生存期間には神様の命令に従うそぶりを見せるが、さばきつかさが死んだらまた堕落するという淫乱な習慣が身についてしまっていた。さばきつかさであるギデオンでさえ謙遜なふりをして王の座を拒んだが、実際には人々に仕えられるために様々な行為を行った。これこそがイスラエルが接した「淫乱な」状況を最もよく見せている部分である。

4. 神様の民が過ちや堕落などの過ちを繰り返さないようにするにはどうすればよかったでしょうか (参照/Ⅱ歴代7:14、創 32:30、申 5:4、Ⅱ歴代 7:14)。
- 神の民が恵みを経験しても神様から離れてしまう失敗を繰り返さないためには、たった一つの策がある。「二重の態度」を戒め、整理し神様の方に向き続けることだ。神様の方に向き続けるというのは他の所に一切目を向けず向けようという心や行動をストップし、神様に自分の体を捧げ神様に顔を向けることを意味する。過去から今まで神様の御顔を求めることは神様の民に最も重要な事であった。イスラエルは神様のみ顔を仰ぎ見て神様の民として新しく生まれた。ヤコブは神様を仰ぎ見、イスラエルという名をもらい民族の歴史を始めた(創32:30)。モーセの時には神様は火の中で民と会われ彼らが守るべき律法を立てられた (申 5:4)。神様の御顔を仰ぎ見、民は神ではなくほかのものに仕えようという悪い習慣から脱し神様だけに仕えなければならない。

5. 神様の民は心と行動が一貫し神様だけに仕えなければなりません。あなたはうわべと中身が一貫していますか。神様だけに仕える生活をしていますか。
6. 神様は自分を求める者たちを喜ばれ、彼らが直面している困難に回復をもたらしてくださいます。今日も神様の御顔を求め、神様だけを王として仕えるため、具体的に何をしますか。

삶의 열매를 거두며
表面的な部分でだけ神様に忠実に仕えているようでも、内側では違う行動をするなら神様をだますことになるだけでなく、自分自身も欺くことになります。そのわなにはまらないようにするためには、神様を仰ぎ見、歩みを停滞させないことが大事です。かつてのイスラエルの民とは違い今日の聖徒たちは直接神様に歩みを進めてよい権利を得ています。みことばと祈りを通して日常の中で神様を仰ぎ見、自分の心と行動が外見と中身で異なっていないかどうかをよく確かめ、常に神様に一貫した忠誠を誓う弟子となりましょう。

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