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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-09-02 2022年 9月 1週次 365qt 110
2022년 9월호 GBS 1과 삿 1장 1~7、 17~21節(목、토요일 본문에서 뽑았음)
온전한 제자의 길

마음의 문을 열며
酪農業の会社の相続者として生まれたウィリアム・ボーデン(William Borden)は、エール大学に通っていた時にニューヘブンの通りをさまよう路上生活者や、アルコール中毒者の更正を助けるエールホープミッション (Yale Hope Mission)という団体を作りました。在学中に父親が亡くなり、莫大な財産を譲り受け、世界宣教に主から召され、イスラム宣教に備えるためにエジプトに行きました。そこで髄膜炎にかかって、早逝しました。世を去った後に彼の聖書に「残すものなく。後戻りもせず。後悔もなく」という三つの文章が書かれているのが見つかりました。今日の本文に出て来るイスラエルの民の姿を見ながら、私たちは神様の召しを受けた民として残すところなく仕え、後戻りせず、後悔なく生きているか確認しましょう。

말씀의 씨를 뿌리며
1. ヨシュアが死んだ後イスラエエルの民が神様に祈った内容は何ですか。神様はイスラエルの民にどのように応えられましたか (1~2節)。
-ヨシュアが死んだ後にイスラエルの民が神に私たちのなかのどの部族が最初に上っていくべきか、カナン人と戦うべきかを聞いた。神様はユダであると言われた。


2. ユダはどの部族とこの征服の戦いをともにしましたか。彼らのカナン征服の結果はどうなりましたか (3~5節)。
-ユダ部族はシメオンと同盟を結び、神の命令に従って戦いに出た。
-結果はユダが上っていき、ベゼクでカナン人とペリジ人を打った。

3. ユダは逃げたアドニ・ベゼクを捕らえ、どのようにしましたか。ユダがアドニ。ベゼクにした行動はどんな意味があるでしょうか (6~7節、参照/ ヨシ11:15)。
-ユダは逃げるアドニ・ベゼクを追い、彼らの両手両足の親指を切り落とした。この後、アドニ・ベゼクはエルサレムに連れて来られて死んだ。
-ユダはアドニ・ベゼクを殺す時、手足の親指を切った。これは古代の近東やカナン地域でひろくおこなわれていた慣習で戦争中に敵の身体を切断するものである。このような残忍性と罪は主が良く思われていない。神様はカナン人をすぐに根絶やしにするように言われていたのにイスラエルの民はカナン人の風習を踏襲したのである。士師記に記録されている出来事から、すでにイスラエルがカナン化していっているのを見ることができる。アドニ・ベゼクをすぐに根絶やしにしないでエルサレムに連れてきてそこで殺したことも主の命令に背くことだ。イスラエルの民は神様がモーセとヨシュアに与えられたみことばに完全に従わなければならなかった。民はみことばに徹底的に従うことができず勝手な判断をした(参照/ ヨシ 11:15).


4. ユダとベニヤミン部族のカナン征服の戦いに失敗した理由は何でしょう(17~21節)。
- ユダはその兄弟シメオンとともにツェファテに住むカナン人を滅ぼし、その後にガザとアシュケロンとエクロン地域を占領しました。神様はユダとともにおられたが、彼らは平地の、鉄の戦車を持っている住民たちは追い払えなかった。ベニヤミンはエルサレムに住むエブス人を追い払えず、それだけでなく、エブス人はベニヤミン族一緒に住むようになった。
-ユダ族は神様がともにおられたが、平地の住民と自分たちの力を比べて、足りないと感じてしまい、戦いを避けた。人間の常識や理性が、信仰にまさってしまったのである。力がなくて、ではなく神様の御力を信じる信仰がなくて、こうなった。ベニヤミン族はエブス人と戦うのではなく妥協することを選んだ。神様はカナン人と契約を結ぶことを禁じたが、ベニヤミン族はエブス人とともにカナンの地に住むようになった。ベニヤミンは豊かなカナンの地で平和に住むことに満足していたかもしれないが、豊かさを求める欲より信仰が先でなければならない。

5. あなたは信仰生活をしながら現実の問題に直面する時、妥協したり退いたりせず、神様の民としてアイデンティティを守って生きていますか。

6. 日々の霊的戦いで勝利するためみことばにはしっかり従わなければならない。この地で神の民として世の誘惑に妥協せず神様のみことばに従うために、あなたが方向転換しなければならないことはないでしょうか。

삶의 열매를 거두며
ティム・ケリーという牧師は「従うことは従うけれども半分くらい神様に従ったイスラエル」のことを「半分の弟子道」と言いました。私たちがともに今日見たイスラエルの民の姿は、ともすれば私たちに似ているかもしれません。自分を見るに、半分にも満たない弟子としての歩みをしていると感じるかもしれません。私たちはユダとベニヤミンの姿を見て、世の誘惑に妥協せず霊的戦いで勝利するために、神様のみことばに完全に従い生きなければならないということを心の深いところに刻み付けるべきです。神様の民としてアイデンティティを守り、現実に妥協せず、神様がくださった使命を成し遂げるため従順の歩みができるように祈りましょう。

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