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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-03-04 2022年 5月 5週次 365qt 191
/ マタイの福音書7:7-12
祈りを通して神様を頼る

마음의 문을 열며
ひとりの人の人生は、始まって終わるときまで、誰か人や、何かの物を頼りにして生きます。新生児が自分に乳をくれる母の胸を離れては育つことはできず、ようやく歩き始めた子どもは、支えてくれる父親なしには歩けません。しかし、年をとって、多くを学び、経験も重ねていくと、自分の経験的知識や自分の能力、また、思想や哲学などを頼って生きるようになります。しかしイエス様の弟子は、神様が許された人生で聖書の教えの通り、ただ神様だけを頼って生きなければなりません。弟子となった者は、どうすれば神様をより頼んで生きることができるかを真剣に考えなければなりません。弟子たちに対するイエス様の勧めと命令をよく調べてみましょう。イエス様の弟子は、どのように神様を頼り、生きることができるかともに考えてみましょう。

말씀의 씨를 뿌리며
1.イエス様が弟子たちへ勧め、約束された内容は何でしょう (7~8節)。イエス様がこのように勧められた理由はなんでしょうか。

―イエス様は弟子に対し、求めなさい、捜しなさい、たたきなさいと勧められた。そして求めるなら神様がくださり、捜すなら見つかる、たたくなら開かれると約束された。イエスは、弟子たちが祈るように勧め、三つの表現を用いられたが、それぞれの表現すべてがギリシャ語の現在時制で書かれている。これはイエスが弟子たちへ習慣的に祈るように勧めておられることを意味する。


2. イエス様が弟子たちへ祈るように勧められたとき、選択された例話は何でしょう。その理由は何でしょう(9~10節)。

―イエス様が選択された例話は、食事の席に座っている親と子どもの話である。子どもは両親が自分に良いものをくれることを期待し信じている。親はそのような自分の子どもに対して、焼いたパンと似ているからということで石を与えたりはしない。子どもが魚を求めているのに蛇を与える親もいない。イエスはこの例話を通してどのような親であっても決して子どもには悪いものを与えないということを語られる。神様は親が子どもに接するように私たちに接して下さる。

3.イエス様は親と子供との関係を通して神様をどのような方として紹介していますか。このように紹介されている理由は何でしょう(11節)。

―イエス様は、天におられる父なる神様について、求める者へ良いものを下さる方として紹介しておられる。特にルカは神様がくださる「良いもの」を「聖霊」と具体化して書いている。子どもが危険なものを食べようとするとき、親はそれを放っておかず、食べるのに安全な食べ物を与えて食べさせる。子どもがだまされて害を受けないように、人間の親でさえそうするのに、神様はもっと私たちを、愛情をもって顧みてくださる。イエス様は神様が弟子たちの祈りに確実に応えられる方であるということを知らせ、応答の主導権は求める者にあるのではなく、神様にあるのだということを知らせた。これらのことを知らせるためにこのたとえ話が記されている。

4.イエス様が隣人について命令されたことはなんでしたか。その理由については何だと思いますか
(12節)。イエス様はなぜ祈りの必要性と応答の確実性について語った後に、このような命令を与えられたのでしょうか(参照/レビ19:18)。

―イエス様は何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさいと命じられた。これは「隣人に対する義務」について要約したもので、旧約の律法と預言者たちが宣言してきた教えの核心である。イエス様は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という命令を発展させ、弟子は自分が扱われたいと願う方法で、人に接しなければならないということをはなされたのである。
イエス様は祈りの必要性と応答の確実性について語られた後で、自分がしてもらいたいと思う通りに隣人にもしなさいと命じられた。これは弟子は祈りを通して神様により頼む方法を学び、神様との関係を正しくするとき、隣人愛の義務を完全に果たすことができるためである。

5. 聖徒は神様に求め、捜し、たたいて、神様をより頼んで生きなければなりません。あなたは祈りを通して神様を頼って生きていますか。
6.聖徒は全てのことについて神様をより頼まなければなりません。そして祈りを通して神様をより頼む方法を学んでいくのです。祈りを通して神様をより頼むためにあなたが決断すべきことはなんでしょう。

삶의 열매를 거두며
イエス様は山上の垂訓の最後の教えで弟子と神様との関係について取り扱っています。まずイエス様は弟子たちに求め、捜し、たたきなさいと教え、この教えを通して祈りの必要性を説きました。そして親と子供の関係を題材にした例話で神様がどんな方であるかを紹介し、応答の確実性について語られました。そして隣人に対する義務として、自分にしてもらいたいと思うとおりに隣人にもするようにと命じられました。イエス様は弟子が祈りを通して神様により頼み、生きなければならないことを教えられたのです。イエス様の弟子は自分を頼みにして生きるのではなく、ただ祈りを通して神様により頼んで生きなければなりません。今週一週間、小さい事でも大きなことでも、すべてのことについて祈って、自分自身ではなく神様をより頼み、委ねられたことをしっかり果たせるイエス様の弟子になれるようにしましょう。

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