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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-03-04 2022年 4月 4週次 365qt 157
詩篇141篇
ただ主だけを見上げよ


夏には浜辺で水遊びをしていて水に落ちる事故が発生することがあります。この時、水に溺れている人が人命救助の資格のあるライフガードの案内に従えば、助かるケースが多くあります。しかし多くの人は恐怖感を感じて、生き残るために必死にじたばたします。水に溺れた人のこのような行動は自分自身だけでなく、救助要員の命までも危険にさらすことがある行動です。人はこの世を生きている中で危機の瞬間に遭遇することがあります。このような時、神様を知らない者たちは、自分の力ですべての問題を解決しようと必死になって行動します。しかし神様を信じる聖徒は、すべてのことを神様にゆだねることができる特権を持っています。なげきの詩と呼ばれている詩篇 141篇に出て来るダビデの告白を通して危機の瞬間に聖徒が持つべき態度はどんなものかともに調べてみましょう。


말씀의 씨를 뿌리며
1.ダビデは今、神様にどのような願いをしていますか。ダビデが願っている内容に照らし合わせてみるとき、彼がどのような状況に置かれていることが分かりますか(1節)。
_ダビデは今、神様께に「急いで」来てくださいと言っている。自分の声に耳を傾けてくださいと懸命に呼ばわっている。彼は危険な状態の中にあって、非常に緊迫した状況であるということが分かる。だから神様に自分がいるところへと早く来てくださいと頼んで、大きな声で祈っている。しかしダビデは、神様が自分の声を全く聞かれていないように感じている。このように患難にあっているダビデは、 今、神様の注目を求めている。

2. ダビデは神様に自分の祈りと手、そして口、くちびるがどのようになるようにと求めていますか。このように求めた理由は何でしょう(2~3節、参照/ヤコ3:8)。

_ダビデは祭司たちがささげる香をたく場面を描写し、主が自分の切迫した祈りを聞いてくださるように願い求めている。祭司が聖所で香を燃やすときに出る煙が「御前での香」であるが、それが 神様が臨在される聖所に満ちるように、自分の祈りのまた消えることなく神様の前で立ち上ることを願っている。また、手を上げるというのは、相手を絶対的に頼り、高くする行為であり、全能なる神様にすべてのことを委ねるという決断を見せるものである。またダビデは口に見張りを置き、くちびるの戸を守ってくださいと願っている。なぜならくちびるを通して出る言葉が大小の罪の根源であるからだ。ダビデは今のこの状況の故に自分のくちびるで神様に不平不満を行ってしまうのではないかと恐れていたものと見える。


3. ダビデの周辺には悪人と義人の両方がいました。ダビデは患難のなかでも義人の道を歩みたいと願っていましたが、悪人は彼をそそのかして悪い道へと誘惑するため、いろいろな方法を使っています。どんな方法を使っていますか(4節)。ダビデは義人たちの忠告にどのように反応していますか(5節 前半)。

_

悪人たちは豪華な食事を準備してダビデを誘惑している。彼らが準備した豪華な食事は、正しくない方法で備えられたものであった。だから、彼らから接待を受けることは深刻な危険が伴うものだった。甘い誘惑の後ろには恐ろしい毒があるという事実を知ったダビデは、彼らと一緒に悪を行わず、豪華な食事を食べないようにしてくださいと求めた。また義人たちはダビデを叱責した。これはダビデが罪の道に陥らないためのものだった。苦難の時であればあるほど、自分に対する叱責に耳を傾けることは簡単ではないが、彼は義人の叱責を受け止めている。古代イスラエルには訪問客を歓迎するしるしとして頭に油を塗る慣習があった。「頭にそそがれる油」という表現は、義人の叱責を拒まないというダビデの思いをたとえをもって描写したものである。

4.悪人によって大きな患難に陥ったダビデでしたが、神様の前にどのような祈りをささげていますか。ダビデがこのような姿を見せることができた理由は何でしょう(8~10節、参照/Ⅰサム24:4)。

_ダビデは神様に、「私を放り出さないでください」と言っている。それほどまでにダビデは、この時、差し迫った状況に置かれていたことが分かる。このような状況で、ダビデは、視線を神様に向け、主に身を避けますと言って告白しているのである。また悪人たちはダビデをとらえようとわなや落とし穴を仕掛けたが、 ダビデは 神様に、自分をわなや落とし穴から助けてください、悪人たちの策略に陥らないようにしてくださいと祈っている。ダビデがこのような祈りをささげた理由は、神様がありとあらゆる問題を解決できるお方であり、悪人をさばく正義と公義の神であるということを信じていたからである。彼は人の方法で問題を解決しようとはしなかった。祈りながら主のみこころを求めた。


世を生きている中で、私たちは多くの患難と恐れを感じます。また、悪人たちが仕掛けたわなに遭遇することもあるでしょう。このような危機の瞬間に、あなたは、ダビデのようにすべてのことを神様にゆだね、罪の道に陥らないように最善を尽くしていますか。

6.聖徒は危機の瞬間に、ただ神様だけを頼り、人の方法ではなく主の方法によって問題を解決しなければなりません。どんな瞬間にも心とくちびるを守り、罪の道に入らず、主のみこころを成し遂げようとするなら、何をしなければならないでしょうか。

삶의 열매를 거두며
ダビデはその人生の中で多くの危機に遭いました。しかし、ダビデはいつも悪人のたくらみに陥ることなく、ただ神様だけを見上げ主が喜ばれる道を歩みました。愛と義の神様は、曲がった道をまっすぐにし、どん底に陥ってしまったご自身の民を助け出してくださることを知っていたからです。人は危機に会うと、危機から脱するために努力をします。自分が持っているものを使ったり、人脈を活用したり、さらには正しくない方法までをも使って自らを合理化したりもします。しかし、これはむしろ状況をもっと悪化させるやり方で、このようなことをしていると、もっと深い穴に陥ってしまいます。問題解決はただ主なる神様だけができることです。すべてのことを神様にゆだね、懸命に祈り、主が下さる本当の回復と復興を経験できますように。

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