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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2022-03-04 2022年 4月 2週次 365qt 162
詩篇 127:1~t5
人生がむなしいものにならないための秘訣

마음의 문을 열며
大きな社会的ブームを巻き起こした、ドラマ『イカゲーム』の最後のエピソード他のタイトルは「運のいい日」でした。1920年代の小説家ヒョン・ジンゴンの短編小説のタイトルと同じです。小説とドラマどちらも、金を稼ごうと孤軍奮闘していた主人公が「運よく」大金を稼いだ後家に帰って来て、その金をやろうとしていた人が死んでいる姿を発見するという場面を描いています。これは人間がいくら大きなことを成し遂げようとしても、その根本的目的となる「人」を守ることができないならば、何の意味があるだろうかというメッセージを伝えています。知恵の人、ソロモンもまた今日の本文を通して、人がどれほど多くのことを成功させたようであっても、人生に与えられた根本的目的を追求することができないならばみなむなしいと言っている。私たちの人生がむなしいものにならないために追求すべき根本的目的が何なのか調べてみましょう。

말씀의 씨를 뿌리며
1.詩篇127篇の表題を見たら、この詩はだれが何のために書いたものなのかを知ることができますか。ソロモンは神様が導いてくださるのでなければ人間のどんな努力もむなしいと言っているのでしょう(1~2a節)。


―詩篇 127篇 1節 の初めの部分の表題をみたら、この詩は、ソロモンが「都上りの歌」として作ったということが分かる。ソロモンは、もし神様がされるのでないなら、人間が家を建てて町を守り、生計を立て、生計のために働くなど、個人のわざを成し遂げようとするすべての努力はむなしいと告白している。

2. ソロモンは、伝道者の書で何がむなしいと言っていますか。イスラエルがもっとも栄えていた時期の王として、もっとも華やかな神殿を建てる驚くべき大きなわざを成し遂げたソロモンですが、どんなものよりも神様がくださる眠りがもっとも尊いと語ってるのは何を強調したことでしょう(2b節、参照/伝1:2) 。

이스라엘이 가장 강성한 시기의 왕으로, 가장 화려한 성전을 세웠습니다. 솔로몬이 성전을 향해 가는 길에 그의 눈에 보이는 모든 강대함과 화려함이 오히려 하나님께서 주시는 잠만 못하다고 말합니다. 여기서 잠은 인간이 자신의 집과 성과 생계를 지키기 위해 깨어 노력하는 것과 정반대의 행위로 볼 수 있습니다. 따라서 솔로몬이 하나님이 주시는 잠이 인간의 깨어서 노력하는 그 어떤 노력과 성취보다 더욱 귀하다고 묘사하는 것은, 극명한 대비를 통해 하나님 없이는 인간의 노력이 얼마나 하찮은지, 그리고 하나님께서 함께하시고 주관하시는 삶이 얼마나 중요한지 강조하는 것입니다.

―ソロモンは伝道者の書で人間のすべてのものはむなしいと語っている。
イスラエルが一番栄えていた時期の王として、一番華やかな神殿を建てた。
ソロモンが神殿に向かって歩む道で見たすべての強く華やかなものよりも、神様がくださる眠りのほうが勝っていると語っている。ここで眠りとは、人間が自分の家と町と生計を守るために目を覚まして努力することと、全く反対の行いのように見える。だからソロモンが 「神様の与えられる眠り」が「人間が目を覚まして努力をするすべてのこととその結果」よりももっと尊いと描写したことは、この克明な対比を通して神様なしでは人間が努力をしてもそれがいかにつまらないものなのか、そして神様がともにおられ、導かれる人生がどれほど重要なのかを強調している。

3. 神様の導きがない場合、人間のあらゆる努力と成就がすべてむなしいと描写して語ったソロモンですが、子どもを得ることについては肯定的に表現しています。どうしてでしょうか。家を建て、町を守り、糧を食べる労と子どもを通して新しいいのちを持つことの差は何でしょう (3~5節、参照/創1:28a、9:1) 。

-ソロモンは子どもを得ることについては非常に肯定的に表現している。彼は子どもたちは主の賜物で報酬であると言った。若い時の子らは勇士の手にある矢のようであると言っている。神様の導きを受けない人間は、どんなことを成し遂げてもそれはむなしいと強調したソロモンが子どもを得ることを肯定的に表現したことは、神様が喜ばれることとしてそれをとらえていたからだ。神様は世の初めの人類と、洪水のさばきの後、新しく出発しようとしている人類の双方に、同じように生めよ、ふえよとの命令を与えておられる。それほどまでに生めよ、ふえよという、いのちを生み出すことは神様が重視されることであると知ることができる。
子どもを通して新しいいのちを得ることは、本質的な目的で、家を建て町を守り、糧を食べる労というのは、本質的な目的のための副次的な労にすぎない。聖書では「家」という単語は、建築物、それ自体だけでなく子どもを含む「家門」つまり「一家」というような意味を内包している。従って「家を建てる」ということは、表面的な建築行為を超越するものである。一つの家庭を持って新しいいのちを得て、守っていくというのは究極的な目的のある行動である。町を守ることもまた、城壁という建築物自体を守るところに目的があるのではなく、町の中のいのちを守るところに本当の目的がある。労して糧を食べることもまた、糧を獲得するところに目的があるのではない。糧を食べいのちを維持するところに目的がある。

4.旧約の知恵者ソロモンは、物理的な家を建てることよりも、子どもを通して新しいいのちを得ることが重要であると歌っています。新約の使徒たちはどんな家を建てよと勧めていますか。人生をむなしいものにしないために、成就するものは何でなければならないでしょうか(参照/Ⅰコリ3:9、 Ⅰペテ2:5)。

- 使徒パウロは使徒たちが神様の畑であり、建物であると言っている。使徒ペテロはキリストが血の代価を払って買われた聖徒たちを、いのちのある石として表現し、この「生ける石」が互いに組み合わさって霊の家として建て上げられていくようにと勧めている (Ⅰペテ 2:5)。ペテロは特別に複数である「聖徒」たちを、生きている「石」たちとして、複数で書いている。その反面、聖徒たちが生ける石として建て上げていく「霊の家」は、単数で表現した。つまり神の家、霊の家は複数の聖徒が「生ける石たち」となり建て上げるものであり、この家が建て上げられ続けて拡大するならイエスを信じ、新しいいのちを得る聖徒たちが増えていくはずなのである。

-旧約の知恵者と新約の使徒たちの言葉を総合してみるなら、人生で成し遂げるものがむなしいものにならないためには、救われた新しいいのちが増えていくことを通して神様の家を建て上げていくことが重要である。これは神様が喜ばれることである。

5. ソロモンと使徒たちはみな主の内にあって肉的に、霊的に、いのちを立て上げていくことに力を尽くすようにと勧めています。今日、あなたは家庭と教会共同体にあって、自分を通して新しいいのちを生み出すために努力をしていますか。

6.私たちの人生に最も意味のあることは、主にあって新しいいのちを立て上げていくことです。私の人生で新しいいのちを立て上げていくために決断をし、労するべきことは何か考え分かち合いましょう。

삶의 열매를 거두며
世の初め、神様が人類へ与えた生めよ、ふえよという命令は、罪によって人類が受けるようになった死のさばきのゆえに失敗したかのように見えました。しかしキリスト・イエスが新しいいのちを下さったことにより、肉体の子孫が増えることのみならず、キリストのいのちを持った者を増やしなさいという命令としても受け取り、成し遂げていくことができるようになったのです。人間の歩みにおいて最も意味のあることは、まさに、家庭的に、教会的に、この命令を遂行することです。ほかのすべての労は土に返るものですが、主にあって新しいいのちを得てそれを守っていくことは、つねに神様の前で栄光になること、主が喜んで受け取られる礼拝としてささげることができるということを覚えましょう。人生のどんな目標よりも主にあって新しいいのちを得て守ることに力を尽くし、むなしい人生を生きることのないようにしましょう。

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