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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-10-28 2021年 12月 4週次 365qt 250
ヤコブの手紙 2:14~25
信仰と行い、義なる関係

韓国のことわざに「言葉でだけなら、いとこの家の瓦の家でも建てられる」というものがあります。「行動や実践なく口先だけで言うのなら、どんなことでも言うのは簡単だ」という意味で、話だけで行動の伴わない姿を批判して言うことわざです。もしあるクリスチャンが、イエス様を信じてその方のみことばに従うと言いながらも、隣人に配慮することもなく、自分の利益だけを考えて行動するなら、イエス様に従うクリスチャンであると果たして認められるでしょうか。今日の本文からヤコブは信仰と行動について話し、行いの重要について強調して語ります。ヤコブのおしえを紐解きながら、イエス様を信じる信仰によって救われた聖徒の生き方がどうであるべきかともに考えてみましょう。

1. ヤコブは聖徒のどんな姿を批判していますか。これを立証するために何を例として挙げていますか(14~16節)。
-ヤコブは「信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう」と問を投げかけ、行いのない信仰は何の益ももたらさないと語っている。そしてヤコブは一つ例を挙げて、自分の主張を立証する。とても貧しくて着る物もなく毎日の食べ物にも事欠くような人に会ったとして、その人に対し「安心して行きなさい」との言葉だけをかけて何の助けも与えないならば何の役に立つかというのである。ヤコブは誰かの切実な窮乏を見てもその人の実際的な必要を満たさないならば、それは行いのない信仰だと言っているのである。  

2. ヤコブは信仰と行い、義の関係についてどのように説明していますか(17、24節)。
-ヤコブは信仰と行い、義の関係について説明する。まず行いのない信仰は死んだ者であると言う。そして人が信仰によってだけではなく、行いを通して義と認められると教えている。つまりヤコブは本当の信仰は必ず行いに現れる、そうならざるを得ないと言っているのである。もし誰かの姿から何の行動も見られないなら、その人にはそもそも初めから何の信仰もなかったと結論付けるしかないと言うことだ。信仰は必ず行いが伴う。

3. ヤコブは行いによって義とされるという自分自身の主張を具体化するために聖書の人物のうちだれを例に挙げて説明しますか(21、 25節)。
-ヤコブは行いによって義とされるという自分の主張を立証するためアブラハムとラハブを例に挙げて説明する。まず創世記22章にはアブラハムが神のみことばに従順に従い、息子イサクを祭壇にささげる姿が出て来る。ヤコブはアブラハムが従順を通して、実際に行動することによって義と認められたのだと語っている。ヨシュア2章ではラハブがイスラエルの神の主権を認める告白をする。もしラハブが口ではこのような告白をしておいて、イスラエルを助けなかったら、彼女に信仰があったということができるだろうか。ラハブもまたイスラエルの使いを助ける行動を通して救いを得たのである。



4. パウロは罪人である人間がイエス・キリストを信じる信仰によって義とされ、救いに至ると言っています(参照 ロマ 3:28)。ならば、 行いによって義とされるというヤコブの教えはどう理解したらいいと思いますか (22節、 参照/ エペ 4:13)

-パウロの「口で告白して救われる」教理と「行いによって義とされる」というヤコブの教えは、互いに衝突するもののように見える。ここでパウロとヤコブが語る「義」と「行い」の概念的な違いを理解しなければならない。まず「義」について調べてみよう。パウロにとって義とされるということは、神を信じていない人がイエス・キリストを信じる信仰によって罪の赦しを受け取る意味である。ヤコブが語る義とは、神を信じる信仰が行いを通してはっきり現れて、神によって認められるという意味である。次の「行い」の相違点について考えてみよう。パウロが語る行いは、人間自らが救いを受け取るためにする努力を意味する。ヤコブが語る行いは、信仰から出る行為であり、信仰の実を意味する。パウロがエペソ書4:13で語る「完全な人になる」という言葉もまた、信仰を通して主のみこころに従って変えられた聖徒は、完全にされる過程を歩み、その信仰が人生で行いとして表れることを意味している。よって、パウロとヤコブが互いに衝突する意見を主張しているのではない。

5. ヤコブは行いのない信仰は死んだ信仰であると言い、イエス様の死と復活を信じる信仰によって義とされる聖徒の行いについて強調しています。あなたは信仰によって救われる者としてイエス様の愛を人生で実践していますか。
6.イエス・キリストを信じる信仰によって救われ、イエス様に従って、「完全」という高嶺に向かう弟子は必ず生活で実を結ばなければならない。イエスに従う弟子として生活で実を結ぶためにあなたに何が必要でしょうか。


聖徒はイエス・キリストを信じる信仰によって救いを得た者として、イエス様の教えを生活の中で行動をもって実践しなければなりません。本来、言葉で表現しきれない救いの感激と感謝を経験した聖徒の生活は、変わらざるを得ないのです。そして救われ聖霊と豊かな関係を結んだ聖徒は聖霊の実を結びます。よってヤコブの教えのように、行いのない信仰は死んだ信仰です。自分の信仰は神様に義とされる、真の信仰であるかどうかよくよく振り返って考えてみましょう。もしそうでないとすれば生活において具体的に神様のみことばに従順に従い、信仰の行いをするために、努力をしなければなりません。イエス様の教えにならって命を生かし、教会をたて上げるために行動するとき、私たちの信仰は完全になり、神様の友と呼ばれるようになるのです。

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