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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-10-28 2021年 11月 4週次 365qt 243
エレミヤ 51:36~46
偽りから脱し、正しい道へ
カーナビの案内に従って運転をしても間違った道に迷いこんでしまうことがあります。このような場合、ナビから「経路から外れました」との音声が流れ、道を再検索することになりますが、その時、経路に戻れなければ目的地からもっと遠くなってしまいます。このように、クリスチャンも神様のみことばというナビゲーション・システムの方向指示に従ってうごかなければなりません。しかし多くの人たちが、聖書が導く方向に従うより、世が与える楽しみや豊かさについていこうとします。今日の本文はバビロンへの神様の計画を見せています。神様はバビロンが与える世の豊かさを経験するユダの民にどのような導きを与えられたのかともに見てみたいと思います。

1. エレミヤはバビロンに対する神様の計画がなんであると言っていますか。神様が バビロンにそのようにされる理由は何でしょうか (36~37節)。
―エレミヤは神様がバビロンの海を干上がらせ泉を枯らすと言う。その当時、バビロンはエフラテの川の水を利用し、豊かさを得ていた。神様が水を枯らすと言われたのは、バビロンを滅亡させるということを意味している。そして、バビロンが廃墟となり、ジャッカルの住みかとなり、恐怖やあざけりの対象になり、人が済まないところになると預言する。エレミヤは、神様がバビロンに対しこのようにされた理由について「訴えを取り上げ、報復する」からだと言っている。今はバビロンが神様の道具となり、ユダを打つが、彼らは最終亭には罪によるさばきから逃れることはできない。そして神様はご自分の民の祈りを聞かれ、彼らを苦しめる者をそのままにしておかれない。

2. 神様はさばきが臨む前に、バビロンの状態をどのように表現しておられますか (39
節、参照/エレ 51:7)。

―神様は、バビロンが「酔っている」と語られる。バビロンは非常に強大な国であった。神様の手にある金の杯(7節)として、諸国を酔わせ滅亡させる道具として用いられた。
「わたしは彼らに宴会を開き」という表現から分かるように、彼らが強大国となり、ユダだけでなく、他の国を征服することができたのは、神様が許されたことだった。しかし バビロンは自分たちの力でそれを成し遂げたと勘違いして傲慢になっていた。しかし 神様はバビロンが酒に酔ったように破滅し、永遠に眠り目覚めないようにすると語られた。金の杯を持ち、自分たちの富と名誉に酔っているバビロンの姿は非常に愚かである。

3. 神様はユダの民にバビロンの最後の瞬間が近づくとき、どのようにせよと言いましたか。神様がこのような命令を下した究極的な理由は何でしょうか(45節、参照/ロマ1:28)。

神様はエレミヤを通してバビロンにいる民に向かって、バビロンがやがて滅びること、そのなかにとどまろうとせず、その場所から出て、主の怒りから身を避けるように語られた。今のバビロンは、金の杯を手にしている。しもべとして連行されたが、強大国であるバビロンの守りの下で暮らすことは一見楽に見える可能性もある。バビロンは金の杯を手にし、豊かさと繁栄を得ており、当時その誰も、バビロンが滅亡するなどとは想像もしなかった。実際のところ、それは、神様が罪に染まったバビロンを罰することなく放っておられたからであり、 神様は必ずその地を罰せられるのである。神様はご自分の民が罪に満ちたバビロンから出て、怒りから身を避けて主の下に戻ってくることを願っておられる。

4. 神様はみことばにしたがうことを恐れる民にどのように語られますか (46節)。 神様の命令に従わなければならない瞬間、私たちが神様をどのようなお方であると認識していれば、従順な者となれるでしょうか (参照/Ⅰサム 17:47)。

―さばきの日が近づいてくるとユダの民は恐れに陥る。強大だったバビロンが墜落するのを見て、落胆した思いにもなっただろうし、またこの先、自分たちの人生がどのようになって行くのか分からないので暗たんたる気持ちになったかもしれない。むしろバビロンにとどまることがもっと安全であると考えたかもしれない。神様は、恐れ、命令に従うことを躊躇している民に向かって、様々な知らせを聞き、変化する状況の中に置かれることがあっても恐れるなとのみことばをかけられた。最後の瞬間に民は神様のみことばを思い出し慰められ安心しただろう。 神様が自分たちをさばき、捨てられたと思っていたのに、変わらず自分たちを見守っておられたという事実は慰めになっただろう。 神様の命令の通りバビロンから出てエルサレムに行くことになれば、彼らは、バビロン金の杯のような剣ややりではなく、ただ主なる神様だけを頼り生きるようになる。世の価値観は、私たちにその魅力を見せ、私たちをひきつける。また、世のやり方の通りに生きなければ自分が後れを取るような気持ちにもなる。しかし主の子どもは、世の価値観に同調してはならない。偽りの真理に騙されず世と区別された生き方をし、戦いにおいても主権を持っておられる神様を信頼しなければならない

5. バビロンが神様のさばきによって滅亡しても、華やかな強大国バビロンを去ることに恐れを感じる民もいました。あなたは豊かに見える世の中ではなく、神のみことばに従って生きているでしょうか。
6. 神様は必ず善と悪をさばかれます。バビロンのように、悪人が成功するように見える世の中で、みことばに従って聖徒らしく生きるため、具体的に何を実践すべきなのか、考えて分かち合いましょう。



エレミヤがバビロンの滅亡を預言した時、バビロンの権力は永遠であるかのように思われていました。捕囚として引いていかれたユダの民は、バビロンの豊かさに慣れ、異邦の国の偽りの真理や価値観に染まっていく心配がありました。だから神様は罪に染まったバビロンが、必ず滅びると語られ、その日が来たら、躊躇せずにバビロンから出て、怒りから身を避けるようにと語られました。世で生きていれば、みことばを離れ、世の価値観に従って行ってしまいやすいです。しかしバビロンの結末が滅亡であったように、世に追従した結果は、神様の怒りであるということを忘れてはなりません。永遠であるかのように思われたバビロンの悲惨な最後のように、甘く見えるこの世の終わりもまた、さばきであるということを覚え、世の歩み方を離れ、神様のみことばに従っていきましょう。

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