Korean | English | Japanese     
   
 
 
    Home > 小グループ聖書勉強のガイド    
 
Go and Make
disciples
of all nations!
   
 
  国際弟子訓練院
  弟子訓練とは
  弟子訓練 α&Ω
  セミナー
  図書及び資料
  掲示板
小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-10-28 2021年 11月 2週次 365qt 223
エレミヤ 47:1~7
苦難にあったとき

ナチスの収容所で人々の死を多く目撃した精神科医のビクター・フランクルは、人間はどれほど苦痛に満ちた環境の中であったとしても否定的な反応を機械的に出す以前に、違った反応を選択できる自由を持っているということを主張している。収容所の多くの人たちがガス室に行く前に生きることをあきらめ、命を落としましたが、ビクターは絶望的な環境の中でもほかの観点から状況を見るとき、希望をしっかり握って生き延びることができると言っています。クリスチャンにとっては自分を 幾重にも取り囲んだ苦難を全く違う観点から見ることのできる確実な根拠があります。それが何なのか今日のみことばを通して調べてみましょう。



1. エレミヤはいつペリシテ人に対する預言を伝えていますか。この預言はペリシテ人たちがどこから来る苦難を受けると言っていますか( 1~2節)。
―預言者エレミヤはパロがガザを打つ前にペリシテ人たちに対する主の言葉を受け取って伝えている。この預言でエレミヤはペリシテ人たちが来たから来る苦難にあうことを語っている。

2.エレミヤはペリシテに臨む苦難がどのようなものであると言っていますか (3~4節)。 エジプトが攻撃するガザがペリシテの南側の町であるという点を考えると、エレミヤが預言する北から来る苦難は誰の攻撃を指しているものでしょうか。

-エレミヤはペリシテに臨む苦難がひどく、父たちが子を顧みる力もなくなってしまうほど圧倒的なものであると言った。ペリシテは助けを期待することができず破滅させられると預言している。
-1節で触れられているパロの攻撃は、南のエジプトがペリシテの南の町を攻撃するものである。彼が預言している北から来る苦難は、エジプトの攻撃とは違う、他の大きな苦難がペリシテに臨むという預言である

3. エレミヤがペリシテに臨む幾度にもわたる苦難をユダの民に預言する理由は何でしょう。この苦難は誰が決定したものでしょう (7節、参照/エレ 25:29、 31)。

エレミヤはペリシテが来たから来る大きな苦難を味わうことになるということを宣言する時、その苦難はペリシテが南のエジプトからの攻撃を受けることとは別物であると言っている。つまり、ペリシテが幾度にもわたって苦難をかわるがわる受けることになるというメッセージである。ペリシテに対する苦難とわざわいが宣言される前、神様の民が住むエルサレムに対するわざわいがまず宣言され、その後エジプトやペリシテなど、周囲の国に対する神様のさばきが宣言された (エレ 36~37章)。 ユダはすでにペリシテ滅亡の預言を聞いているが、それに重ねてペリシテが受ける苦難を詳細にエレミヤは伝えたのである。それは神様に、この一連のさばきを神様が決定され実行されるということを確実に知らせようとする目的があった。


4. 神様は偶像と周辺列強を頼ったユダの民をさばかれた後、さばきの道具として用いた周辺列強をもさばかれます。神様がご自分の民に願われることは何だと思いますか(参照/エレ 25:5、 9)。
―神様はイスラエルの民が受けるさばきを通して、神様の義を表された。彼らをさばく道具とした周辺の列強をさばき、神様がすべての主権を持ったお方であるということを確実に知らされた。
神様はこの一連の苦難とさばきを通して、ご自分の民が神様の主権を完全に認め、悔い改め、もう一度神様の御前に歩み出て、神様を頼るように願っておられる。

5. 神様は、聖徒とその周辺に苦しみを与えることによって、ご自分が神であるということを知らせることがあります。あなたは自分や自分の周囲に苦しみが起きたとき、神様が人生の主であるということを認めることができたでしょうか。

6. 神様は、さばきの中でも絶えない回復の希望について常に予告してくださいました。そしてイエス・キリストを通してそのことを成し遂げられました。苦しみの中でもただ神様だけを頼るために、何を実践したらいいでしょうか。

新型コロナ・ウイルスのパンデミックの状況が全世界を覆っています。いのちの危険と経済的危機が長期化することを耳にすると、多くの人たちは恐れに陥ります。しかし、クリスチャンは、全世界がともに経験しているこの危機的状況を、むしろ神様に注目が集まるチャンスとしてとらえなければなりません。神様だけがこのすべての状況の主であり、すべてを回復し完全にしてくださるお方であるからです。困難を通るとき神様を完全に見上げる人は、神様が備えておられる回復の希望をしっかりつかみ、新しいいのちを期待することができるのです。過去の二年間、苦難が私たちを取り囲みましたが、むしろこのことを通して神様に対する一層大胆な信仰を確立しなければなりません。神様が私たちを跳躍させてくださいます。

目録