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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-10-28 2021年 10月 5週次 365qt 269
エレミヤ 42:1~12
心の内を吟味して祈れ

聖歌に「なしたまえなが旨、すえつくり我が主よ」という歌があります。この賛美を作詞したポーラーという人は宣教に献身しようと神様に祈りましたが、応答がなかなか得られませんでした。長い時間が経って、彼女は「祈りは自分の思いを完全に神に服従させることだ」と知りました。このように聖徒は「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と言われたイエスの祈りに倣わなければなりません。しかし口では神様のみこころを求めますが、心では自分の思いがなることを願ってしまうことが多々あるものです。本文を通して神様のみこころを求める祈り手として持つべき姿勢とはどのようなものかともに考えてみましょう。

1. ヨハナンと民がエレミヤに知らせたことは何ですか。また、エレミヤに願った内容は何でしょうか(2~3節)。エレミヤは彼らの願いにどのように答えましたか(4節)。
―ヨハナンと民は、エレミヤに対し、自分たちが多くの人達の中からわずかに残った者たちであることを知らせた。神様が自分たちに歩むべき道となすべきことを知らせてくださるようにと願い、 自分たちのために神様に祈ってほしいと願った。
これに対し預言者エレミヤは、彼らの言う通りに主なる神様に祈り、神様が、彼らに答えてくださることを隠さず伝えると述べた。

2. ヨハナンと民はエレミヤの答えを聞いた後、どのように反応しましたか (5節)。彼らがエレミヤに祈ってほしいと頼んだ目的は何でしょう。彼らがこのような反応を見せた理由は何でしょう(6節)。
―ヨハナンと民はエレミヤの肯定的な言葉を聞いた後、神様が自分たちに知らせてくださるすべてのみことばの通りに行うと決心し、それを表明した。そして神様が真実で確かな証人になってくださるようにと祈っている。

彼らは、エレミヤに与えられる神様の応答が自分たちにとって良いものであっても良くないものであっても、それを問うことなく従おうと言う姿勢を見せた。ヨハナンと民が見せたこのような「豪快な」反応は、至極敬虔なように見えるが、実際には、自分たちの歩みに確信を持つために神様の意図を知ろうとする彼らの差し迫った状態を見せている。彼らは神様を真実で確かな証人として立てようとした。このことは、神様のみこころに不従順であるときに臨むわざわいも甘んじて受けるという意思を明らかにするものだ。「良くても悪くても」という表現は原語では「同意できてもできなくても」という意味を持つが、これも同じように自分たちの歩みに対する確信を得るための切迫した感情や決然とした意志を表す。

3. 神様はエレミヤの祈りにどれくらいの期間沈黙されましたか。その理由は何でしょう(7節、参照/エレ 41:17、42:20~21)。
-エレミヤの祈りに神様は、十日の間沈黙された。ヨハナンと民は、自分たちが願った通り神様に祈ってみると答えてくれたエレミヤの言葉に、豪快な反応を示したものの、実際に彼らの心の内には、エジプトに行くことをすでに決心した状態であって、その決心を後押しするような言葉を聞こうとする気持ちがあった (41:17)。神様はその事実を知らないはずはない。だからすぐに答えを与えられなかったのだ。

差し迫った状況で十日という期間は、決して短くはない。その間ヨハナンと民は緊張感と焦燥感のなかにあった。応答の期日が遅れていることにだんだん不安になって来るなかで、バビロン軍の報復に対する恐れも大きくなっていっただろう。神様の答えが遅れれば遅れるほど、平安に見えるエジプトだけが正しい答えであると考えるようになったはずだ。
結局 神様が沈黙されていた十日の間は、神様のみこころを悟るために祈りを求めたヨハナンと民たちの心の内を問う期間であり、正直でなく真実でもない彼らの心の内を明らかにするのに必要な期間だった。時間の経過とともに、神様が言われるすべてのみことばの通りにすると言った豪快な決心は失われてしまった。この沈黙の期間はヨハナンと民がかぶっていた仮面を取り去り、信仰のない彼ら自身の姿があらわにされる期間であった。これはこの後に出て来る「あなたがたは、あなたがたの神、主の御声を聞かず、すべてのために主が私をあなたがたに遣わされたことを聞かなかった」というところで明らかにされ、エレミヤの叱責を通して証明されている(42:20~21)。



4. 神様が エレミヤの祈りに十日間沈黙された後約束されたことは何でしたか(10節)。 ヨハナンと民への神様の約束は何を意味していますか。

―神様はエレミヤの祈りに十日間沈黙された後、ヨハナンと民がユダの地にとどまるなら、彼らに対して下したわざわいを思い直し、彼らを建てて、倒さず、植えて、引き抜かないと約束された。神様は、ヨハナンと民が決定した通りエジプトに行くのではなく、ユダの地に住み、バビロン王の統治を受け入れることが命の道を選択することであると語られたのである。

神様はユダの地に命の計画を立てておられた。ゲルテ・キムハムで分かれ道に立っているヨハナンと民に命の道と死の道を再度示され、約束を伝えられた。言い換えれば、先に神様のさばきを受けてユダは破壊され、民は約束の地から引き抜かれ異邦の地へと追放されたが、残っている民 (ヨハナンと民)は、エジプトに行かず、ユダの地にとどまるならば、神様が考えておられた災いを思い直し、彼らを再び建て、植えるということを約束されたのである。
ヨハナンと民は、自分たちの決定に符合する言葉を聞こうとして、祈ってほしいとエレミヤに願った。しかし神様は「良くても悪くても」従うという彼らの威勢のいい言葉は、実は中身がないことを示された。そもそも彼らの心の内側には、ユダに残るという考えは根本的になかった。彼らの本心は、ただエレミヤと神様に気に入られようという軽薄なものに過ぎなかったということが分かる。
5. 神様のみこころを求めて祈る聖徒は、自分の内側の思いをよく吟味しなければなりません。あなたは神様のみこころを求めるとき、正直に真実な心で祈っていますか。
6. 神様の御思いを求めて祈るとき一番重要なことは自分の心が正直で真実であるのかを良く調べてみることです。正直で真実な心で祈るため、あなたが決断すべきことは何でしょう。

ヨハナンと民の願いを受けてエレミヤは神様に祈り求めました。神様は十日の間沈黙されていましたが、これは神様のみこころを悟るために祈ってくれるようにと頼んだヨハナンと民の心の内側を問いただそうとしたものでした。真実でない彼らの心を明らかにするためだったのです。物事を決定し、行う前に、神様に自分たちの歩みを聞き、求めみことばの通りに従うことを決心するヨハナンと 民の姿は、いかにも敬虔に見えます。ところが彼らが神様のみこころを求めたのは、自分たちが決定したことを後押しする言葉を得るために過ぎませんでした。神様は私たちにも「心の内側をさらけ出して祈れ」と語られます。すべての祈りに神様のみこころを求め、自分自身の心の内側を調べて、正直で真実な心で祈る聖徒になりましょう。

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