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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-08-04 2021年 9月 4週次 365qt 297
ローマ人への手紙 15:1~7
一つになって徳を立てる
最近、ジェネレーションギャップや、地域的な偏見、男女間にある葛藤が社会的に大きな問題になっています。みなが心を一つにして困難な時代をともに克服しなければならないのに、自分が正しく、相手が間違っていると主張する葛藤や分断が一層ひどくなってきています。しかしほとんどの葛藤の原因は正しいか間違っているかというところにはない。互いに異なった考えや価値観を持っていると言うことが葛藤の主要因であるだけです。ローマの教会の中にも葛藤がありました。教会内の葛藤が大きくなると、パウロはイエス様に従う者たちがどのようにこの問題を解決しなければならないかについてアドバイスをしました。本文を通して「真理」ではなく「違い」によって生じる問題の解決案をともに見てみましょう。

1.パウロは力のある者たちがしなければならないことは何だと言っていますか (1~2
節)。パウロがこのような勧めをした背景には何があると思いますか(ロマ 14:2~3)。
_パウロは力(信仰の)のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、隣人を喜ばせ、善をなし、徳を立てるように言った。ローマ教会の中には力の強い者と弱い者(信仰の面で、弱い者とは、自由を得ることができない者たち)がおり、彼らの中に互いに紛争があった。弱い者たちは強い者たちを罪に定め、強い者たちは弱い者たちを無視して蔑視していた。パウロはこのような状況に直面したローマ教会の聖徒たちの中で、信仰が強い者たちに弱い者たちを顧みて、徳を立てるように求めている。

2.パウロは力の強い者たちが弱い者たちを助け、隣人を喜ばせなければならない理由について何と言っていますか(3節、参照/マコ 10:45)。
-パウロは力が強い者たちが弱い者たちを理解して顧みなければならないと言い、その理由は、イエス様がそのようにされたからだと言う。キリストはご自分を喜ばせることはなさらなかった。賛美と礼拝を受けるにふさわしいイエス様は仕えられるためではなく、仕えるために来られた。私たちがイエス様に従う者たちであるなら、人に仕え、自分を犠牲にされたイエス様の姿に習わなければならない

3.パウロは教会がどんな姿で神様に栄光をお返しするべきだと教えていますか。このことを可能にする方法は何でしょう(5~6節)。
パウロは「心を一つにし、声を一つにし」神様をほめたたえるようにと言い、共同体が一つになることを強調した。そしてそれを可能にするため、わたしたちが「キリスト・イエスにふさわしく」なることが重要であると述べた。人から仕えられず、ご自分が仕えるために来られたイエス・キリストにふさわしく生きようとするとき、「一つ」になることの実を見ることができる。イエス様に従い犠牲の人生を歩むことは簡単ではない。だからパウロは「忍耐と慰めの神様」が、私たちがキリストに従い、互いを理解し、仕え愛し、一つになることができるように助けてくださると言っている。

4.パウロはローマ教会の聖徒に「一つになる」ことを強調し、「互いに受け入れる」ことを勧めました。互いが互いを受け入れることができる根拠は何か、パウロがこの根拠を提示した理由は何だと思いますか(7節、参照/エペ2:16)。

-パウロはローマ教会の聖徒たちに対して「互いに受け入れなさい」 (NIV: Accept on another)と言った。自分と考えが違っていたり、自分より弱かったりしても、相手を受け入れ、理解し、愛しなさいという意味である。私たちがこのように行動しなければならない理由はイエス様が私たちを受け入れてくださり、神様をほめたたえるためである。私たちに不完全さや弱点があるにもかかわらず、神様が受け入れてくださったことを信じるなら、自分もまた自分と考えや見解が違う兄弟姉妹を受け入れることができなければならない。そしてイエス様が十字架で死なれることにより、隔ての壁を打ち壊し、神様と和解し平和を得たように、イエス様に従う者として和解と平和のために力を尽くすことが当然である。

5. 共同体のなかでは考えと見解の違い、強い者と弱い者が共存するしかありません。共同体のなかにある弱い者を顧み、自分と意見の違う人を理解するため、最善を尽くしていますか。
6.隔ての壁をうちこわしてくださったイエス様の十字架の恵みを頂いた聖徒は、和解と平和のために力を尽くさなければなりません。共同体の中で善をなし、徳を立てるために何をしなければならないか互いに話しましょう。

パウロは福音の真理に対する本質的問題については少しの譲歩もなく、断固として正しいか間違っているかを区別しました。しかし「違っていること」によって生じる非本質的な問題については、すべてクリスチャンがイエス・キリストに従う弟子として互いに理解し愛さなければならないと言います。パウロは葛藤しているローマ教会に強い者が弱い者を顧み、互いを喜ばせ、善を、なし徳を立てることを勧めます。アウグスティヌスも「本質には一致を。非本質には寛容を。すべてのことには愛を。」という言葉を残している。イエス様は十字架で死ぬことにより、壁を壊し、神様と私たちを和解させてくださいました。私たちもイエス様のように壁を壊し、平和をなし、共同体の中で一つになり徳を築いて生きていきましょう。

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