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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。

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2021-04-09 |
2021年 4月 1週次 |
365qt |
410 |
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ヨハネの福音書 20:19~29 信仰の状態はどうですか 恐れの反対語を考えてみたことがありますか。これに大胆または、堅固さと答える方もいるかもしれません。このような表現を全て含んでいる言葉が「信仰」です。キリスト者にとって信仰とは、イエス様が私たちのために死なれ、再びよみがえられ、救ってくださることを信じることです。 この信仰が固いと、どんな状況でも揺るがされることのない信仰生活をすることができます。しかし問題は、この信仰の状態に変化が生じてしまうということです。 イエス様が死なれた後、弟子たちは信仰が揺るがされました。日々復活の望みを持って、堅固な信仰で生きていくためにはどのようにすべきか、本文を通して一緒に考えてみましょう。 1.安息日の次の日、弟子たちはどんな状態でしたか。イエス様はこのような弟子たちのところに訪ねて来られ、どのように行動されましたか(19~20節)。 - 安息日の次の日、弟子たちはユダヤ人たちを恐れ、門を閉じていた。イエス様はその時、彼らに平安があるように語られ、手とわき腹を見せられた。 2.イエス様はなぜ弟子たちに向かって平安があるようにと言われ、聖霊を受けるように言われたのでしょうか(19、21~22節)。 - イエス様は、弟子たちが恐れの中にあったので、彼らに真の平安がないことを知っておられた。これは、イエス様がおられないことへの不安感であったが、イエス様はこのような不安を取り除くために、彼らに平安があるように宣言され、聖霊を受けるように語られた。聖霊を受けたらなら恐れることはないからである。 3.ほかの弟子たちがイエスを見たと言うのに対し、トマスはどのように反応していますか(25節) 。トマスの反応から確認できるトマスの信仰の状態はどうですか。これが意味することは何でしょう。 - トマスは、イエス様が来られたとき、自分がその場にいなかったために、主を見たという弟子たちのことばを信じなかった。トマスは、主の手とわきばらを見、そこに手を入れてやっと信じると告白した。 - トマスは、徹底して目で見て、手でさわらなければ復活の事実を信じるとできないという信仰のレベルであった。これは、その後、イエス様の弟子として数多くの奇蹟を見たが、それによってもイエス様がメシヤであることを完全に信じることができなかったという意味である。 4.イエス様はトマスに何を行うように言われましたか (27、29節) 。イエス様がトマスに、 見ずに信じる者は幸いだと言われたのはどうしてだと思いますか。 - イエス様の手を見、わきに手を入れてみるように言われ、見ずに信じる者は幸いと言われた。 5.恐れの反対の言葉は信仰です。新型コロナウイルスの世界的感染の中、復活の希望をもって主の前に揺り動かされることない信仰によって信仰生活が送れていますか。 6.復活に対する希望を持っていれば真実な信仰告白がおのずと出てくるはずです。トマスの告白について聖書でよく各自見た後、信仰告白を書いてみましょう。この告白を完全に守っていくために、どのような努力をしていきますか。分かち合いましょう。 信仰がしっかりしている人は、自分の目と手をもって、イエス様の復活を確認しようとはしないはずです。イエス様がくださったみことばだけで十分です。そのような人だけが、真の復活の証人として生きるようになります。問題はこの信仰が常にしっかりしていなければならないのに、恐れによって信仰に亀裂が生じるときがあるということです。もしこの状況に直面することになれば、亀裂の入った信仰を点検し、もう一度それを堅固にするための助けを求めなければなりません。もしあなたの唯一なる救い主であられる主に感謝し主がくださるみことばの中に住まうなら、信仰は生活を通して現れるようになります。今あなたが直面している状況がどうであっても、イエス様は死なれ、またよみがえられ、そしてまた来られるメシヤであるということに日々アーメンと告白しつつ生きましょう。
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目録
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