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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-01-22 2021年 3月 3週次 365qt 69
使徒の働き 18:5~11
福音を伝えるための意識転換

普遍的認識を転換することは簡単ではありません。新型コロナウイルスによって、非対面社会に転換したことで、福音伝道は難しくなったと考えることが普遍的認識の一つの例です。しかしこのような状況の中でもマスクを贈って伝道するクリスチャンは、福音伝道が難しいという普遍的な認識を超えて行動できる人であろうと思います。固定観念や社会全般に通用する認識をうちこわし、転換させることは簡単ではありません。主は私たちに神様の民としてふさわしい認識の転換を求めておられます。本文を通して主がパウロに求められる認識の転換は何か、今日、聖徒はどのような心で生きるべきかを共に考えてみましょう。

1.パウロが毎週安息日ごとに決まってしていた働きは何ですか。シラスとテモテが合流した後、どのように働きを担いましたか(4~5節)。
- パウロはコリントでプリスキラとアクラの家に住み、安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシャ人たちを承服させようとした。シラスとテモテがマケドニアから降って来て合流すると、彼はユダヤ人たちにイエスはキリストであると証言した
-補助質問としてシラスとテモテがパウロとようやく合流した背景について問うこともできる。使17:13~15を見ると、シラス、テモテと一緒にマケドニヤ地域にあるテサロニケとベレヤでもユダヤ人たちの会堂で論じ、福音を伝えたが、福音を聞いた一部のユダヤ人たちがパウロの一行を迫害し、騒動を起こしたため、パウロと、シラスとテモテ一行は分かれることになった。つまりシラスとテモテがマケドニヤから下って来て合流したという記録は、パウロがすでにユダヤ人たちの会堂で論じたために迫害を受けたことの結果である。パウロは迫害を受けても、同じように福音を語り、同じことを繰り返していたことが分かる。

2.パウロの証言を聞いたユダヤ人たちの反応はどうでしたか。パウロは彼らの反応にどのように応じていますか(6~7節、 参照/ 使17:13~15)。
- ユダヤ人たちはイエスはキリストであるというパウロの証言を聞いて、これに敵対し、誹謗中傷を常にしていた。彼らの反応を見たパウロは彼らから離れ、異邦人のほうへ行くと言った。そのあとパウロはテテオ・ユストというギリシャの名を持った名前の人の家に行ったが、そこはユダヤ人の会堂の隣であった。

3.パウロはユダヤ人から離れていくと宣言しましたが、実際にはどう行動しましたか。パウロがこのように行動した理由は何でしょう(7~9、11節)。
- パウロがユダヤ人であるプリスキラとアクラの家から出て、テテオ・ユストという人の家に行ったことは、ユダヤ人を離れたように見えるが。彼は変わらずユダヤ人の会堂のすぐ隣に滞在していた。さらには、ユダヤ人の会堂管理者クリスポと一家はイエス様を信じるようになった。このようなことを見るとき、パウロはユダヤ人たちの迫害に怒ったような反応を見せたように見えるが、実際には遠く離れてはおらず、福音を伝える働きを続けていたということが分かる。
-ユダヤ人たちによって繰り返されていた迫害により、パウロはユダヤ人を離れると言った。それほどまでに迫害によってパウロは気落ちしていたのだろう。しかし彼がそれでも福音伝道を続けて担えたのは、人間的な落ち込みを超える、主が下さる福音への情熱があったからだった。パウロが会堂でユダヤ人たちにイエスがキリストであるということをはっきりと証言した時 (5節)、彼はすでに、神様のみことばにとらえられて行動していたのであり、落ち込みの経験のあとには、恐れないで、語り続けなさいという主の慰めを受けた。


4. パウロはくり返し苦しみや迫害に遭っていましたが、その中でも神様は、救いの祝福された知らせを伝えるように彼に語りました。なぜでしょうか(10節、参照/ヨナ4:11)。
-本文に登場するパウロは、ほかの地域でユダヤ人の迫害を避け、コリントまでやって来たところであった。かつて預言者ヨナも民族的にニネベ人たちの迫害を経験していた状況だった。それでも主はその町の民のことを考えて、彼らのために福音を伝えるようにという心をパウロとヨナに与えられた。主の弟子は、群衆に向かい合う時、自分がそれまで考えて来たとおりの判断をして、彼らに背を向けるようなことがあってはなりません。むしろ神の民が彼らの中にいる、という考えをするように努めなければならない。なぜなら、自分に対して襲い掛かってくる迫害がひどいもので、避けたいという思いを改め、迫害のあるその場所でも主の民がいるということを認識するようになるなら、主が福音を伝える者たちに約束された守りもついて来るものであるからである。


5.主は弟子たちに対して、周囲の人を主の民として見るようにとの認識の転換を求めておられます。あなたは自分の周りの人たちを福音伝道の対象として見て、愛をもって仕えるために努力しているでしょうか。

6.あなたの状況が困難に満ちていたとしても主の目で周囲の人たちを見るために、具体的に何をすべきか考えて分かち合ってみましょう。


周りの人たちに対して、自分の感情のままに振る舞っているならば、福音伝道の働きを全うすることはできません。利己的な態度を捨てて、主の目で人々を見る時、福音伝道の使命を完全に果たすことができるようになります。彼らの行動が悪いものであったとしても、さばきは主がされるものなので、私たちは常に蛇のように知恵深く、鳩のように素直であるように努力を死、福音を大胆に伝えるためにどのようにするべきか悩まなければなりません。私たちの努力は、世の人達が見る時、大したものではないと判断されるものであるかもしれません。しかし牧者の心で、黙々と努力しましょう。福音伝道は主が願われる視線を自分自身が持つ瞬間から始まるということを覚えましょう。

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