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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-01-22 2021年 3月 1週次 365qt 396
使徒の働き 14:8~18
聖徒が持つべき基本姿勢

傲慢は使命を維持するのに最も大きな障害物です。すべてのことが自分の力で成し遂げられたと考える瞬間、使命感をささえていた純粋な心は無くなります。ですから持続的に使命を果たしていこうとするなら、どんな状況においても、人生の主権者がだれであるかについて正確に認識していることが必要です。それがなければ自分の功労、努力、経験だけに頼ることになり、自分も分からないうちに本質をゆがめる人生を生きるようになります。今日の本文に登場するパウロとバルナバの姿を調べ、聖徒が働きに臨むとき警戒すべき姿や築いていかなければならない姿についてともに考えてみましょう。


1.ルステラに移動してきたパウロが出会った人は誰ですか。その人に対して起こした奇跡は何でしょうか。パウロはこの奇跡を通して、群れからどのような評価を去れるようになりましたか(8~12節)。
-パウロは生まれつき足のきかない人に出会った。その人に信仰があるのを見て、自分の足で立つように命じた。するとその人が立ちあがって歩き出した。これを通して群衆は、バルナバのことをゼウス、パウロのことはヘルメスと呼んだ。

2.ゼウス神殿の祭司は群衆と一緒にパウロとバルナバに何をしようとしましたか。このことに対するパウロとバルナバの反応はどのようなものでしたか。その理由は何でしょうか(14~15節)。
- ゼウス神殿の祭司が雄牛と花飾りを門の前に携えて来て、群衆と一緒にいけにえをささげようとした。その瞬間、二人は衣を引き裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、
私たちも皆さんと同じ人間であると言い、このようなむなしいことを捨てて、神様のもとへ立ち返るようにと言った。

- パウロとバルナバは自分たちが行った奇跡のゆえに自分たちをあがめようとした人たちに、このようなことは正しくないと宣言し、唯一なる神様へ立ち返らなければならないことを強調するため、このような行動をした。
3.パウロはなぜ神様が過去の時代にはあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられたが、神様ご自身がご自分のことをあかししないでおられたのではないと言ったのでしょうか( 16~17節)。
-パウロは自分に注目している群衆の視線をとどめ、彼らに神様がどのような方なのかを知らせようとした。それで過去の時代には、それぞれが自分の道を自由に行っていたように見えたかもしれないが、実はその中には神様の臨在が継続してあったことをパウロは言いたかったのである。生きておられる神様をどんな場合にも認めなければならず、あらゆる偶像もありえないという事実を知らせようと、このような表現を用いた。

4. パウロは自分を神格化しようとする群衆に向かって、神様の存在をどのように確認させましたか。また、彼らの行動にどんな反応をしていますか(17b~18節)。パウロが彼らの行動にこのような反応をした究極的理由は何でしょう。
-パウロは神様が天から雨を降らせ、実りの季節を与え、恵んでくださることを語り、食物と喜びとで私たちの心を満たしてくださったと教えた。パウロがこのようなことを群衆に向かって教えたのは、自分が行っていた奇跡が自分によるものではなく、神様の御力の中で行われたことであることを表すためであったことが分かる。

5.パウロとバルナバは自分たちに注目する人たちの視線に思い上がることなく、ただ神様だけに栄光をささげた。あなたは普段の生活で自分を表そうとするより、ただ神様おひとりを表すことに喜びを感じているでしょうか。
6.だれかの誉め言葉に謙遜に反応せず、自分を表そうとしたことがあれば、それはいつでしょう。聖徒として神様が下さる力を謙遜に用いるため、どのような姿勢が必要か、互いに話してみましょう。

傲慢は、神様ではなく自分自身を表すことです。ですからすべてのことが自分の力によってできたという考えが心の中に湧いてくるとき、すぐさまその考えを悔い改め、主が自分に与えてくださっている恵みをしっかりと認識し、考えを改めなければなりません。自分の力でできることは何もありません。ただ神様が下さった恵みのゆえに、聖徒は毎日の使命を担っていくことのできる力を得るのです。ところが傲慢は、自分でも分からないうちに心に入り込んできます。聖徒はいつも目を覚まして神様だけに栄光をささげ神様の力ですべてのことが成されたと言う事を告白しなければなりません。このような人だけが神様に認められる栄光を受けることができるのです。いつのまにか生活に入り込んでくる傲慢に打ち勝って、神様だけを完全にあがめる主の子どもとなりましょう。

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