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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2021-01-22 2021年 2月 1週次 365qt 93
使徒の働き 8:1~13
教会の本質は何か

「団結すれば生き残れるが、散り散りになれば死ぬ」という言葉が韓国にはあります。国民の団結を訴えるとき、多く用いられる文言です。しかしこの言葉とは違って、団結しても生き、散り散りになっても生きるものもあります。まさに教会です。教会は一致を成す聖徒の交わりによって団結しても、または世に散らされても生命力があふれています。教会は世で通用する一般的な論理とは違う力を持っています。まさに状況と環境を超越する力です。一致団結しても生き、散り散りになっても生きる教会の生命力は、この地の教会に向かう神のみこころがどこにあるのかについて知らせています。初代教会の姿をよく調べてみて、主のみこころを知って行く時間を持ちましょう。


1.エルサレム教会にどのようなことが起きていましたか。これによって使徒たち以外の人達はどうなりましたか(1~2節)。

-エルサレム教会に大きな迫害が起こり、使徒以外の皆は、ユダヤ、サマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。
2.迫害のために散らされた者たちは何をしましたか。彼らがこれらのことをしたのはなぜだと思いますか(4節、参照/使 1:8、2:46~47)。
-散らされた人たちがしたことは、巡り歩きながら福音を伝えることだった。彼らがこれらのことができた理由は、主が最後に下さった使命があったからだった。彼らは自分の使命が何かを知っており、一緒に集まっていた時に救われた人たちが増えたことも経験していた。彼らは、完全な信仰が何かが分かったので、散らされても、一緒にいた時と同じように力を持ち、本質を中心にして使命をしっかり担うことができた。

3.サマリヤの町に身を避けたピリポが行ったことは何ですか。その場所でどんなことが起こりましたか(5~6節)。ピリポがサマリヤでも福音を伝えたことはどんな意味を持っていると思いますか(参照/ヨハ 4:9)。
- ピリポはサマリヤの町へ下って行き、民にイエス様のことを伝えた。群れはピリポの言葉を聞いて、彼が行う奇跡も見て、そろって彼の語る言葉に耳を傾け、従うというわざが起こった。また多くの人たちが汚れた霊につかれていたが、大声で叫んで霊が出て行った。また、多くの中風の者、足のなえた者がいやされた。
-ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしない間柄であった。サマリヤ人たちが生活していた地域は、アッシリヤ人たちが住んでいた地域はアッシリヤの捕虜になり文化と宗教が混合し始め、これを通してユダヤ人たちは彼らを純粋ではないと見ていた。まさにこのことがユダヤ人とサマリヤ人の間の壁だったが、ピリポがこれを超えて福音を伝えたことは、彼が使命を中心に、自分の役割を完全に担っているものとして見るべきものだ。

4.福音伝道と同時に癒しの奇跡が起こると、サマリヤの町には大きな喜びが訪れました。ピリポの福音宣教が町にいる者たちへ大きな喜びを与えた理由は何でしょう。
-福音宣教が成される前多くの人達が汚れた霊によって苦しめられていた。病によって体が痛むことも問題だが、実際に汚れた霊につかれているために霊的に自由がなかったことが最も大きな問題だった。ピリポが伝えたイエス様は霊的ないやしだけでなく、肉的ないやしも与えることができた方だったので、サマリヤ人たちにとっては大きな喜びになったのだった。教会の構成員である聖徒たちは、たとえ散り散りになっても本質を追求しなければならない。それでこそ捕らえられている者たちを自由にすることができる。そして彼らの中に大きな喜びをあふれさせることができる。

5.教会は散り散りになっても本質を追求するとき、教会のアイデンティティを完全に守ることができます。教会の兄弟姉妹と離れているときにも、あなた自身がディアスポラ教会として最善を尽くせていますか。
6.教会に与えられた迫害は神様へと歩みを進める道となり、教会の本質が何かを問いかけるきっかけとなりました。教会の構成員として、自分が担うべき使命が何かともに考えてみましょう。

教会は礼拝と訓練、証しの使命を持った共同体です。ですから教会はどんな状況でもこの使命をしっかり担わなければなりません。初代教会は互いの持ち物を分け合う共同体として出発しました。持ち物と生活を共にする交わりを通して善行を行い、教会が担うべき使命に集中しました。初代教会に臨む迫害は、皆が集まって守っていた信仰の本質を、それぞれがばらばらになってもしっかり担う機会となりました。しっかりと整えられ、準備ができた共同体であれば、一致団結していても、散らされていても、教会の本質である福音伝道のため、最善をつくすことができるのです。状況とは関係なく教会の本質を守るため、力を尽くす弟子となりましょう。

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