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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-07-14 2020年 9月 4週次 365qt 122
コリント人への手紙第一 15:29~34
復活の希望を持った共同体


イギリスのオックスフォード大学のトーマス・アーノルド (Thomas Arnold)教授は「私は人類の歴史のなか、イエス・キリストが復活されたという事実より、もっと優れた、完全な証しとして立証される事実は一つも見ることができなかった」と告白しています。彼の告白のように、イエス様が復活されたことは否定できない事実です。イエス様は、ご自分を信じ従うすべてのクリスチャンが、ご自分が再び来られるとき、復活して永遠のいのちを生きるようにしてくださいました。だからクリスチャンは明日を期待して復活の希望を持って生きることができます。パウロの教えを通して復活の希望を持った共同体はこの地でどのように生きなければならないか共に調べてみましょう。

1. パウロはクリスチャンの復活について語りながら、コリント教会の聖徒たちに何を質問していますか (29~30節) 。パウロがこのような質問をした理由は何でしょう(参照/Ⅰコリ 15:12)。
- パウロはコリント教会の聖徒たちに死者のためにバプテスマを受ける理由は何かと質問している。そして常に危険にさらされている理由について何かと質問している。
2. パウロは自分自身はどのように行動すると言っていますか。そしてそのように話すことができる根拠については何と言っていますか(31節)。パウロが「私は日々死にかけている」と言った理由は何ですか。
- パウロは自分が日々死にかけていると言っている。そしてこれはキリスト・イエスにあってコリント教会の聖徒たちに対し、持っている自分の誇りを根拠にしていると言っている。
3. パウロは自分がエペソで獣と戦ったと言い、人間の考えからそれをしなかったと言っている。これは何を意味しているのでしょうか (32節、参照/Ⅱコリ1:8~10)。
- パウロは復活がないなら熱心に戦わなかったであろうこと、死を前にして食べたり飲んだりしようと言っていたであろうと言っている。パウロがエペソで獣と戦ったと言ったのは、獣と戦う事のように、絶体絶命の危機で大きな敵と争ったことを意味しているパウロが触れたののように復活に対する希望がなかったなら、生きる希望すら断たれ、不当な裁判を受ける理由もなかったであろう。人間的希望だけを持って戦うなら、キリストの福音宣教に対する益を得られなかっただろうと話しているのである。つまり復活がないなら福音のための苦難を忍耐し、キリストに従う人生には何の意味もなくなるので、明日が無いかのように生きることがまだましだということを意味している。

4. パウロがコリント教会の聖徒たちに願った内容は何でしょう(33~34節)。パウロがこのように願ったのはなぜでしょう。
- パウロはコリント教会の聖徒たちに悪い交際は良い習慣を損なうため惑わされないようにと言っている。復活を否定する「悪い」友達によって良い行いを汚されてはならないという意味だ。また、 パウロは、目を覚まして正しい生活を送り罪を犯さないようにしなさいと言った。食事の席で飲む酒 (32節)にも目を覚まし、罪を犯し続けないように努力し、持続的に聖く生きるように言った。パウロがこのように願ったのは、復活に対する希望を否定し神様について本当の知識があるかのように傲慢な態度を持った聖徒たちに似て行かないようにするためである。そして復活に対する希望を持って、罪を遠ざけて義を行う生活をさせるためである。


5. パウロは復活があるということを証明し、復活の希望をもった共同体が生きる方向性を提示しています。あなたはパウロの勧めのように、日々目を覚まし、義を行い、罪を犯さずにいようと努力していますか。
6.「神様を知らない者」にならず、復活の希望を持った信仰共同体の一員として恥ずかしくないようにどんな努力をするべきでしょうか。

パウロは復活がないと主張する一部の聖徒たちに、復活がなくてもなぜ死んだ者たちのためにバプテスマを受けるのかと聞いています。事実、聖徒たちのこのような姿は、彼らにすでに復活の希望があることを端的に述べたものです。それだけでなくパウロは福音の業のために日々自分は死にかけていると告白し、復活の希望が自分の生活の原動力になっていることを力説しています。このようにクリスチャンは毎日復活の希望を持って、日々目を覚まして、正しいことを行い罪をおかさない人生を生きるために最善をつくさなければなりません。復活の希望を持った者として、恥ずかしくないようにいつも努力し、毎日感謝をもって生きる主の子どもとなりましょう。

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