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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-07-14 2020年 9月 3週次 365qt 211
コリント人への手紙第一 13:1~13
最も重要な愛の賜物

常識的な人は足りないことや不完全なことよりも完全で長く続くものを選び取るものです。信仰生活においても同じことが言えます。もし部分的で限界のある賜物と、完全であり永遠な賜物を置いてどちらかを選ぶとすれば、多くの人は当然後者を選ぶでしょう。しかし、聖徒たちはこのような判断が当然であるにもかかわらず、部分的で限界のあることにとらわれてしまって、いざ重要な賜物を取り逃がしてしまうことが多くあります。パウロはこのことについての判断基準として愛を挙げ、他の賜物と比較して説明します。クリスチャンはなぜ愛を第一に追求しなければならないか、本文を通して一緒に調べてみましょう。

1. パウロは異言や預言の霊的賜物があっても、何がなければ無に等しいと言いましたか(1~2節)。
- パウロは異言や預言を語る霊的賜物が自分にあったとしても愛がなければ無に等しいと言った。
2. パウロは自分が持っているものを分け与えたり、献身をしたりしても、何がなければ何の役にも立たないと言いましたか。パウロのこの告白はパウロの働きをよく知っていた当時の聖徒たちにどのような教えを与えていますか (3節、参照/Ⅱコリ11:24~27)。
- パウロは自分が持っているすべての物で貧しい人を助け、自分のからだを引き渡すほど献身をしたとしても愛がなければ何の役にも立たないと言った。パウロは実際に数多くの献金の働きをした働き人であった。自分自身もまた福音宣教のために数多くのいのちの危険を冒しても働いた。しかし パウロはそれらすべての献身と努力を一挙に否定することもあるほどに、愛がもっと重要であると言っている。 パウロがどのように働いたのか知っている当時の聖徒たちは、彼が「愛がなければ自分と自分の働きは何の役にも立たない」と言ったとき、愛の重要性がどれほど強調されているか、すぐに体感できただろうと思う。これは パウロが 1~2節で触れている大きな賜物と比較しても、愛がより偉大であると言ったこととあわせて、愛の重要性を強調するところに不足の無い表現である。
3. パウロの愛についてこのように強調した理由は何でしょう。彼が語る愛はどのような特徴があるでしょうか(4~7節、参照/Ⅰコリ 12:31)。
- パウロは自分の手紙で聖霊が下さる様々な賜物を紹介し (Ⅰコリ 12章)、他の賜物は人によって異なって受け取るものだと説明しているが、もっと大きな賜物である「愛」については「あなたがた」がこの賜物を慕い求めるようにと言い、「はるかにまさる道」であるとまで強調している。ほかの賜物はうわべにあらわれる姿によって、人の選好度や活用法が違うこともあり、時には互いに優劣を比較する状況にもなるが「愛」はいつもほかの賜物より偉大なものとして皆が追及しなければならないものである。
- 異言、預言、教え、ささげものなどは、主に表面に現れる能力や行為に近いが13章4~7節のみことばを見ると、「愛」は能力や行動ではなくすべての聖徒が追及すべき「心の態度」に近いということが分かる、

4.パウロは預言と異言、知識のような、他の賜物がやがてどのようになると言っていますか。パウロはなぜ愛が最も優先されると説明するために完全なものと部分的なものを対比させているのでしょうか(8、10~11節)

- パウロは預言もすたれ、異言もやみ、知識もすたれると言うが、他の賜物はやがてすたれ終わってしまうと言っている。
- パウロが完全なものと部分的なものの対比をした理由は、他の賜物は部分的に運用されるしかないものであることを示すためである、それに対して愛は、完全なもので、いくらほかの賜物があったとしても愛が完全にそこに存在するのではないなら、神様が見られる共同体として完全に建て上げられていくことはないのであって、このような説明方法を導入して愛を説明している。


5. あなたまは毎日の生活でどんな賜物よりも愛を追求して実践するために努力していますか。
6. 愛の賜物を身に着けるため、みずから変えなければならない生活の態度と心の姿勢は何でしょう。考えてみて分かち合ってみましょう。


霊的な賜物は私たちの信仰生活に多くの影響をもたらしています。しかしこれらが優先になると、決してその共同体は完全にはなり得ません。パウロは、コリント教会が預言、異言のような賜物を追求する傾向があるのを見て、聖徒の間に互いを愛する姿が欠如していることを知り、彼らを叱責しました。このように霊的な賜物を兼ね備えていても、そこに愛がなければ、何の役にも立たないことをクリスチャンは必ず悟っていなければなりません。永遠であっても完全な価値を追い求めるとき、部分的であっても限界があるものは完全に埋めていくことができます。部分的なものを完全にしていく愛の賜物を兼ね備えるため、努力し、主が願われる美しい共同体をともに建てあげて行く者になりましょう。

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