Korean | English | Japanese     
   
 
 
    Home > 小グループ聖書勉強のガイド    
 
Go and Make
disciples
of all nations!
   
 
  国際弟子訓練院
  弟子訓練とは
  弟子訓練 α&Ω
  セミナー
  図書及び資料
  掲示板
小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-07-14 2020年 9月 2週次 365qt 92
コリント人への手紙第一 11:27~34
一つからだとなった共同体の姿

「利己的」という言葉は自分の利益だけを企み、社会全体の有益を念頭に置かない態度のことを言います。コリント教会のなかにも問題になっていた利己的な姿は、残念なことに現在の教会共同体の中にも、利己主義のような姿が見られることが多々あります。どのようにすれば共同体の一致を妨害する利己的な行為を捨てて、共同体全体が一つの心で一致して主が願われる姿に正しく立つことができるでしょうか。今日の本文を通し、共同体に蔓延する利己主義を捨てて、互いに仕えながら配慮する姿を定着させるためにどうしたらいいか考えてみましょう。

1. パウロは、コリント教会の聖徒たちが聖餐にあずかる態度について指摘しています。この態度がどのような結果をもたらすと言っていますか(27節)。
-パウロはコリント教会の聖徒たちが主のパンと杯にふさわしくないままで食べたり飲んだりしていると指摘している。そして主のパンや杯にふさわしくないままで食べたり飲んだりする者たちは主のからだと血に対して罪を犯すことになると言っている。

2. パウロはコリント教会の聖徒たちの間違った聖餐の姿について、どのような勧めをしていますか(28節)。 パウロの勧めにこめられた意味は何ですか(参照/Ⅰコリ1 1:19)。

-パウロは聖徒たちに各自自分自身をよく吟味してからこのパンと杯を食べたり飲んだりするように勧めている。
-「自分を吟味する」ということばはギリシャ語で「トキマジョ」という動詞で 「検討する」「試みる」という意味である。この表現は第一コリント11章 19節に出て来る「正しいという認定を受ける」という表現と同じ意味を持っている。クリスチャンたちは聖餐に臨むとき、自分が聖餐に正しい理解と態度を持って臨んでいるか自分自身をまずよく「テストして」からあずからなければならない。
3. パウロは聖餐を正しく行っていない時どんなことが起こると警告していますか(30節)。 パウロがこのように協力に警告する理由はなんでしょう。
-パウロは聖餐を正しく行わない者たちには神様のさばきがあて、体が弱くなり、病人も出、さらには死んだ者たちもいると言っている。聖徒の一致のために行われていた聖餐が人を一致させるよりも、分裂させる結果をもたらす。このような分裂をもたらすことは死による神様のさばきを受ける。パウロがこのように強力に警告しているのは、コリント教会の聖徒たちが正しい道へ導かれるための神様の戒めを知らせるためであった。
4. パウロが「自分を吟味して」という事とともに勧めた内容と (33~34節)、このような勧めをするに至った背景は何でしょうか(33節、参照/Ⅰコリ11:22)。
-パウロはコリント教会の聖徒たちが聖餐に加わる時には皆が集まるまで待つように勧め、もし誰であっても空腹であるなら家で食べて~来るようにと勧めた。
-パウロが人々が皆集まる時まで互いに待つように勧めたのは、聖徒たちの中に金持ちがいて、その人が聖餐を仕切っていたが、自分たちだけで先に集まって聖餐を楽しんで腹を満たし、後で来る貧しい人たちに食べ物を残さなかったからである(参照/Ⅰコリ 11:22)。このような行為によって貧しい者たちを差別するという言葉が出るようになり、これが教会の公的問題となった。次第にこれにより聖餐の意味が衰退してしまった。

5. パウロは聖餐で自分を吟味して互いに待ち合わせるよう勧めました。あなたは一つからだになった共同体の中で、主のみことばに従って、他の人を配慮するにおいて優先順位を置いていますか。
6.キリストのからだである教会の器官として一つになるためにどのような努力が優先されなければならないか、互いに教会の兄弟姉妹と共に考えて分かち合ってみましょう。

教会はキリストのからだです。ここではかしらがイエス・キリスト、それぞれ兄弟姉妹は各器官です。体のどんな一部分も重要でないということはないようにすべての聖徒が重要であるということを悟らなければなりません。また、兄弟姉妹である聖徒が互いに一致していくことに助け合わなければなりません。この時、一つからだとなることを妨害する利己的な態度は共同体の中で消えていくでしょう。今日パウロは聖餐を通して自分をよく吟味し互いに配慮するこころを持つように勧めています。このような姿は聖徒ひとりひとりがみな追求するべき共同体の徳を高める姿です。聖徒は一つからだとなった共同体を構成して行く各器官であり、主のみことばに従いながら生きていくべきことを覚えるべきです。

目録