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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-07-14 2020年 8月 5週次 365qt 100
コリント人への手紙第一 8:1~13
愛によって徳を立てよ

共同体の中で徳を立てる問題は、いくら強調しても強調しすぎることはありません。事実、頭ではよく分かっているものの、これを実際に行動に移すのは簡単ではありません。聖書的世界観の立場から問題が無い行為であったとしても、弱い兄弟が傷つくとしたら、これよりもっと愚かな行動はありません。このような原則を知りつつも、相も変わらず自分の主観で行動し弱い兄弟を配慮しないなら、大きな問題になります。これは神様が何よりも尊く思っておられるたましいを霊的に生かすことも、殺すことにもなる問題であるということを直視し、共同体の中に徳を立てるためにどんな態度で生きるべきか本文を通してともに考えてみましょう。

1. パウロは偶像のささげ物についての問題に触れるのに先立って、知識と愛についてどのように話していますか(1~3節、参照/Ⅰコリ13:1~3)。
-偶像のささげ物について各自それなりに知識も、考えもある。しかし知識それ自体は私たちを傲慢にする。知識だけを打ち立てれば傲慢になり、互いに戦いが起きるしかなくなるので、パウロは愛を強調している。愛は徳を立てるからだ。自分の考えと知識だけにこだわって、他の人達の考えを無視すれば、本当に重要なことを逃してしまう。クリスチャンにとって本当に重要なものは、愛によって徳を立てることであり、ある主張が正しいとか正しくないとか言うことで互いに議論を戦わせることではないからだ。

2. パウロが話す偶像のささげ物についての正しい知識は何ですか(4~6節)。
- 世には神おひとりのほかには本当の神はいない。すべてのことが神から出ており、すべてのことが神によっているからである。偶像のささげ物もまた神から出たものであるために、それを食べるべきか、食べないでおくべきかということは聖徒にとって問題にはならない。しかしこのような知識をすべての人が知っているわけではない。ある人々は、彼らの持っている背景と知識によって偶像にささげられたささげ物は絶対に食べてはいけないという知識を持っていることもある。


3. パウロは偶像のささげ物を食べる人たちへ何を勧めていますか。その理由は何でしょうか(7~9節、参照/Ⅰコリ 10:23)。
- 偶像のささげ物が聖徒たちにとって問題にはならないという知識を分からない人たちもいる。彼らは弱い良心を持っているため、知識を持って自由に食べるクリスチャンたちが彼らのつまずきになる可能性がある。パウロは肉を食べることによって一人の人の信仰が揺らぐ可能性もあるということを憂慮している。神様は私たちに多くのものを下さり、私たちはそれを楽しむことができるが、それらすべてのものが徳を高めるのではない。よって、聖徒は分別力を持ち主が願われることが何であるかを知るために努力しなければならない。
4. なぜパウロは弱い良心を傷つけることがキリストに罪を犯すことになると言ったのでしょうか(12節)。パウロはささげ物を食べる問題においてどんな決断を宣言していますか(13節)。
- パウロは偶像のささげ物を食べる問題に関して、兄弟をつまずかせるのであれば今後決して肉を食べないと告白している。
- パウロは兄弟に罪を犯し、その弱い良心を傷つけることがキリストに対して罪を犯すことになると言っている。それはイエスがその人のために十字架で自ら犠牲になられたからである。本当に重要な事実は、何を食べて何を飲むか、自分の考えが正しいか間違っているかではなく、イエス様の愛にあって、互いのために喜んで自分の主張を取り下げて自分の考えを明け渡し、謙遜に仕えることによって共同体を正しくたてあげていくことである。

5. 愛の無い知識は自分を傲慢にし、他の人をつまずかせる。あなたは自分の知識より一人の魂を愛する愛で共同体の中に徳を立てるために最善の努力をしていますか。
6.神様は私たちに多くの者を与えてくださった、それを通して互いに徳を高めることで一つからだとなることを願われたからだ。愛によって共同体と隣人に仕え、徳を高めるために何を決断するか分かち合ってみましょう。





神様の恵みのうちで、私たちは非常に多くのものを受け、楽しみながら生きています。それにもかかわらず神様の子である私たちはもっと多くのものを得ようとして努力することが多くあります。パウロはそのような者たちに対して「徳を高める」ように語り、徳は「愛」を通して高めることができることを強調しています。神様がくださった福音という贈り物を受けても、私たちの中に愛がないなら、私たちはパリサイ人と全く変わりがないということを記憶すべきです。福音のうちにとどまる者は、イエス様の十字架の愛を覚え、隣人に仕え、共同体の中で徳を高めます。自分の考えを明け渡し、謙遜な姿で共同体に仕える成熟したクリスチャンになりましょう。

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