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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2012-12-12 2012年 12月号 3週次 365QT 2131
1. サウルも、彼を守っている人々もみんな寝ている状況を見て、アビシャイはダビデに何と言いますか(8節)。そして、アビシャイの提案に対してダビデは何と答えますか(9節)。
-> アビシャイは神様がサウルをダビデの手に渡されたと言った。これはダビデがサウルを殺したとしても、罪のない人の血を流すことではないし、正当な神様のさばきを遂行することになるという主張である。しかし、ダビデは主に油そそがれた方に手を下して無罪でいることはできないと言った。
2. ダビデがサウルを直接殺さないのは何を信じているからですか(10~11節)。
-> ダビデは最終的に主がサウルを打たれ、他の方法で彼は死を迎えるようになることを信じていた。また主に油そそがれた方に直接手を下すことはできないということをはっきりさせていた。主に油そそがれた者は神様の手により直接さばかれなければならないと明らかに宣言している。
3. ダビデは寝ているサウルのところに行って、何をしましたか。それが可能であった理由は何ですか(12節)。以前サウルがダビデを殺そうとしていたとき、主に使っていた武器は槍でした(18:10~11、19:9~10、20:33)。ダビデがサウルから槍と水差しを奪ってきたのは何を象徴していると思いますか。互いに自分の意見を話してみましょう。
-> サウルのところに行って、槍と水差しを持ってきたが、これは神様がサウルと彼の部下たちを深い眠りに陥れたから可能であった。槍はサウルの王としての力とダビデに対する脅かしを意味し、水はいのちを維持するために必ず必要なものを意味している。ダビデはサウルを殺しはしなかったが、このような行為はサウルから王権といのちを奪ったことを象徴的に宣言していると言えよう。
4. 一度でもなく二度も絶好の機会を手にしたダビデが、アビシャイの言う通り、自分に都合のいいように「サウルを殺すのが神様の御心」だと解釈しないで、ただ槍と水差しだけを持ってきたという事実から何を感じますか。私たちにもこれと似たような経験があれば、ともに分かち合ってみましょう。
-> ダビデは「神様の御心」を自分に都合のいいように解釈しようとしなかった。彼は原則から外れることなく、サウルに対するさばきは神様が直接されるという考えで、罪を犯さなかった。神様の摂理とご介入を信じ、進んでいくダビデの姿から、全的に神様にゆだねる信仰とはどういうものなのかを悟ることができる。
5. 私たちは今日も自分の益のために数多くの決断をしながら生きています。その中で神様の御心を自分に都合のいいように解釈してはいませんか。みことばの意味と原則を基準にしてものごとを判断していますか。ともに分かち合ってみましょう。
6. 神様の御心とみことばを一番に考え、念頭におくために、私たちはどうするべきでしょうか。私たちの中に変えるべき考え、習慣、行動がありますか。特に今週、実践できることを考え、ともに祈りましょう。

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