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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2012-04-24 2012年 4月号 3週次_信仰の働きは妥協ではなく純潔から 365QT 2108
信仰の働きは妥協ではなく純潔から
エズラ記 4章1節~7節


*心の扉を開き

バビロンの王ネブカデネザルに引いて行かれた者たちの子孫たちのうち、一部が解放され、エルサレムとユダに帰ってきました。彼らの心は、エルサレムに主の神殿を建てようという熱望でいっぱいでした。その心で、エルサレムに戻ってから二年になる年に、イスラエルの子孫たちは、神殿の礎を据え、工事を始めました。彼らのうちには、悲しみと喜びの情緒が入り混じっていましたが、ただちに、主の神殿をもう一度建てようという心で、この仕事を始めました。しかしこの仕事は敵対者たちの妨害により中断されることになりました 


*みことばの種まき

1.神殿を建築するという知らせが敵の耳に入りました。彼らは、ゼルバベルと一族のかしらたちに、どのような提案をしていますか。そして、そのように提案した理由は何ですか(2節)。

:ユダとベニヤミンの敵たちは、神様である主の神殿が建てられるという知らせを聞きました。その知らせを聞いた敵たちは、神殿建築に加えてもらえるよう、ゼルバベルと一族のかしらたちに願い出ます。自分たちもイスラエルの神様を求め、ここに定着した日から、神様にいけにえをささげてきたという理由からでした。実際、彼らは、列王記第二17章24節を見ると、アッシリヤの王が、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムからサマリヤ に連れて来られた人たちでした。彼らはサマリヤでイスラエルの神様に仕える方法を学び、以来ずっと神様にいけにえをささげていました。

2.主の神殿建築を一緒にさせてほしいという敵たちの要請に、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、どのような決定を下しますか(3節)。

:ゼルバベルとヨシュアなど、イスラエルの一族のかしらたちは、神殿の建築と彼らは無関係であると語ります。そして、このことがペルシャ王クロスが命じたものであることを明らかにし、神様である主のために、イスラエルだけで建築することを決定します。

3.ユダとベニヤミンの敵ではありますが、彼らはイスラエルの神様を求め、続けていけにえをささげていました。それにもかかわらず、イスラエルのかしらたちが、彼らの提案を拒んだ理由は何ですか。(Ⅱ列王 17:27~33 参照)

:この敵たちは、アッシリヤの政策によりイスラエルのサマリヤに移住してきた人たちでした。しかし彼らがやがてもともと居住していたイスラエルの民ともめごとを起こすようになったので、その打開策として主に仕える方法を教え、彼らはイスラエルの神様に仕えるようになりました。
彼らは主なる神様を礼拝してはいましたが、それぞれの民族の風習もひきずったままの状態で、偶像にも仕えていました。つまり、自分の民族の神々にも仕え、イスラエルの神様にも仕える混合主義的な信仰を持った者たちでした。もちろん、敵たちとともに主の神殿を建てるなら、仕事がもっと楽に進むということもあったでしょう。そして、すでにそこに住んでいた人たちとの関係も平和的に維持することができたことでしょう。しかし、エルサレムに戻ってきた彼らは、かつて自分の民族がどうして滅びたのか、そして、再び帰ってきた自分たちへの神様の期待がどんなものであるか、わかっていました。 

4.ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちに拒まれたユダとベニヤミンの敵たちは、その後どのように反応しますか(4~7節)。

:彼らは、ユダの民の気力を失わせ、建築を妨害しました。ペルシャの王クロスの時代から、ダリヨス王が即位する時まで、彼らは議官を買収して彼らに反対させ、神殿建築の計画を強力に妨害し続けました。

5.神殿は、ダリヨス王の治世の第六年に完成します(6:5 参照)。しかし、今日の箇所は、7節以降、アルタシャスタ王の時代の、エルサレム城壁工事の時に起こった妨害事件のことまでを記録しています。これを通して、私たちにわかることは何ですか。

:聖さと、純潔を守ろうとする神様の民に対する敵たちの妨害は、神殿を建てることだけでなく、エズラが生きていた時代、すなわちエルサレムの城壁工事が進められていた時にも、続いていたことを知ることができます。これを通して、真理と福音を心のうちに抱き、聖さと純潔を守って生きていくクリスチャンたちに対する敵の悪しき策略が存在することを知ることができます。

6.私たちにも、敵の妨害が存在します。配慮と受容という名で真理に対して妥協を求めるのが今の時代です。このような時代の中で聖さと純潔をもって生きていくためには、何が必要であるか、分かち合ってみましょう。そして、この混濁した時代の中でも、福音と真理の純粋性を守って生きていく、純潔で知恵深いクリスチャンになれるよう、互いのために祈りましょう。


*生活の実を刈り取り

バビロン捕囚から開放されエルサレムとユダに帰ってきた人たちの心には、神様がくださった主の神殿を建築しようという聖なる熱望が満ちていました。そして、その心でエルサレムに主の神殿をもう一度建てます。神殿建築を始めた彼らの心は、バビロンに捕らえ移される前とは違っていました。彼らは、心の中心に神様だけを置いて生きていくことを決めます。しかしその聖く大胆な決心のゆえ、敵たちによる建築妨害を受けることとなり、作業中断にまで追い込まれました。建築は神様ご自身がなしとげてくださいました。この時代を生きている私たちもまた、神様に求められているのは何かをなしとげることではなく、混濁した現実の中でも、聖さと純潔を守りぬくことであるということを、忘れてはなりません。
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