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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-04-27 2020年 5月号 5週次 365qt 634
5
ヨハネの福音書 21:15~19
あなたはわたしを愛しますか




すべてのことを始めるときには前提条件があります。例えば洋食屋さんを始める人にとっては新鮮な材料をそろえることは基本であり、お客さんが食べる食べ物をおいしく作ることができる実力もなければいけません。受験生であれば試験に必要な勉強を熱心にするだけでなく、目標に向かって走って行く意志と根気が必要です。これは信仰生活にも同じように適用されます。物質的余裕がなければ信仰生活をまともに送れないという人たちもいますが、イエス様は正しい信仰生活のために必要なことは世的なものだとは言われませんでした。そうであれば、イエス様が願われる正しい信仰生活のためには、何が必要なのか本文を通して調べてみましょう。

1. 朝ごはんを食べた後イエス様がペテロに問われた質問は何でしたか。ペテロはイエス様が語ってくださった三回の質問にそれぞれどのように答えましたか(15~17節)。
-朝早く、イエス様は十二弟子の前に姿を現された。彼らのため直接、パンと魚を焼いてくださいました。朝ご飯を食べた後、イエス様はペテロに「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか」と聞かれた。ペテロはイエス様に「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えたが、イエス様はペテロに同じ質問を、重ねて二度尋ねられた。そしてペテロもまたイエス様の質問に同じように答えた。
2.イエス様がペテロに三度も同じ質問をされたのはなぜでしょう(参照 ヨハ 13:37~38ルカ 22:54~62)。
-ペテロは、自分はイエス様を愛しており、主のためいのちも捨てることができる言うほど自信満々であった。しかしいざイエス様が死の危険の前に置かれると、ペテロの自信感は崩れてしまい、結局三度もイエス様を知らないと否認した。裏切り者であり、失敗者でもあるペテロは、この時傷だらけだったことだろう。絶望に陥って、主が任せてくださった使命はすっかり失われてしまっていただろう。イエス様がそのようなペテロに自分を愛するかと問われたことは、彼を追求するためではなくイエス様がペテロをどれほど愛しているかを見せるためだったのだ。イエス様は質問を通してペテロがイエス様の愛を感じることができるようにされることで、彼を慰めその傷をいやすことを願われた。イエス様の愛は人を癒し、間違った関係を回復させる驚くべき力がある。
3. 「年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行く」というのはどういう意味ですか(19a節)。



_あなたはわたしを愛しますかというイエス様の質問に、「あなたがご存じです」と答えたペテロは、イエス様からの命令を受けた。それは「わたしの羊を牧しなさい」というものだった。イエス様は使徒であるペテロに福音を伝え、人をとる漁師にすると同時に、主の民を顧みることを命じられたのであった。
_ここで重要なことは、イエス様がペテロに「主を愛します」という答えを聞いた後に、彼の使命が何であるかをお話になったところである。イエス様がペテロに「あなたはわたしを愛するか」と問われた理由は、イエス様を愛することが使命を担うところにおいて最も重要な条件であるからだ。主への愛なくしては、主がゆだねられた使命を完全に担うことはできないことを覚えなければならない。

4.イエス様がペテロに究極的に求められた命令は何ですか (19b、22b節)。イエス様がペテロの死を語り、使命を与えられた理由は何ですか。
_ 「年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行く」とイエス様が言われた言葉は、ペテロが十字架につけられる殉教についての内容を語ったものだ。伝えられた話によると、ペテロが十字架に掛けられた時にこのように語ったと言われている。「私はイエス様を三度も否定した罪人です。そんな私がこのようにイエス様のように十字架に掛けられて死ぬことが叶うとは。私を逆さに十字架につけてください」
―自分の死についてのイエス様のみことばを聞いても、ペテロは「わたしに従いなさい」というイエス様のみことばに従順に従った。ペテロも十字架で残忍でむごたらしい死を迎えることになることは願っていなかった。しかし彼がイエス様に従うことができた理由は、ただ主を愛する心のためであった。行きたくない道であったがペテロはその何よりもイエス様を最も愛し、その道が主が栄光を受け取る道であるということを知っていたから、イエス様が歩まれた道に従うことができたのである。

5.主がゆだねられた使命を担うためには、必ず主に対する愛が前提としてなければありません。あなたは主をますます愛するため、努力していますか。
6. ただ主を愛していればこそ、主のゆだねられたことを放棄せず喜びをもって全うすることができます。主に対する愛を回復し、あなたに与えられた使命にもっとしっかりと尽くしていくために何を行うべきでしょうか。ともに考えてみましょう。


ペテロはイエス様を否定し、さらにはのろうことまでしました。おそらく彼は長い時間、恥ずかしさやうしろめたさを感じて、落ち込んでいたことでしょう。しかし、イエス様はご自分に対するペテロの愛を確認されました。そして彼の傷を癒し回復させてくださったあと「わたしの羊を飼いなさい」という使命まで下さいました。私たちも信仰生活をしながら与えられたことを遂行していこうとするときに、失敗をしたり倒れてしまったりすることがあります。このようなときに重要なことはこの使命を遂行するために、自分がどれほど主を愛していたかについて自問自答する時間をもつことです。正しい信仰生活をしたいと思っていますか。そうであれば、イエス様をもっと愛することだけが、唯一なる道です。このことをしっかり覚えてください。

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