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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-04-27 2020年 4月号 1週次 365qt 468
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ヨハネの福音書 11:30~47
限りない愛を経験せよ

「限りない」という言葉は、「果てしなく大きく、多い」という意味です。イエス様が見せてくださった十字架の愛は永遠の刑罰に処せられるしかなかった人類へ、永遠のいのちを賜物としてくださったので「限りない」という表現が適しています。今日の本文でも、イエス様はラザロの死を見て悲しむ家族に、限りない愛を見せてくださっています。そして、その愛は、その場所にいた多くの人達にも、流されていきます。主の限りない愛がどのように流れて行くのか、本文を通して調べてみましょう。


1. マリヤは、イエスの前にひれ伏してどのような言葉を言いましたか。イエス様はこの言葉にどのように応じられましたか(32~35節)。イエス様が「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」という言葉はどういう意味でしょうか。
―マリヤはまだ村へ入って来られないイエスの前に走って出て行き、イエス様の前にひれ伏して「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエス様はマリヤが泣いていることと、ユダヤ人たちが泣いているのを見られ、霊の憤りを覚え心の動揺を感じ、ラザロをどこに置いたのかと聞かれた。これに対してその場所を見た後、涙を流された。
―イエスが「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」というのは「エネブリメサト」という単語で、ギリシャ語の単語で、憤怒、または厳格さを表す。イエス様がこういう状態であったなら、怒られたのかとも思われるが、これは人類を、罪によって悲しみと死へと導いていくサタンの横暴に対して怒られたと解釈することが正しい意見のように思われる。

2. この光景を見ていたユダヤ人たちは何と言いましたか。イエス様はどのようにそれに反応されていますか(37~38節)。イエス様がそのように反応されたのはなぜでしょう。
-この光景を見ていたユダヤ人の中の一人が、盲人の目をあけたこの方がラザロを死なせないでおくことはできなかったのかと言った。これにイエス様はまたも、心のうちに憤りを覚え墓に行かれた。ここでもイエス様は状況に対して怒られ、感情的に反応された姿が見られる。理由は先の33節で明らかにされた理由と同じと見て良いだろう。




3.イエス様が石を取りのけるように言われた命令に、マルタは何と答えましたか。マルタの言葉にこめられた理由は何でしょう(39節)。
-マルタはイエス様が石を取りのけるように命じられると、死んでから四日も経っているので臭くなっていることだろうと答えた。
- マルタは石を取りのけると悪臭がするだろうと予想した。死体がすでに腐っていると思い、イエス様の御言葉にすぐに従えなかった。

4.「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」とのイエス様の御言葉にこめられて意味と、ラザロの復活を見たユダヤ人たちがイエス様を信じるようになった部分を比較してみて、どのような関係がそこにあると思いますか(40、 45節)。
-当時ラザロの死を目撃した人達は皆、イエスがその場所におられなかったために、このようなことになったと考えた。マリヤもそのように考えていたし、ユダヤ人の中のある人もそのような考えをしていた。イエス様はそういった考えを人々がしていることを知り、霊に憤りを覚えられたが、最終的にはイエス様の呼びかけにラザロが生き返り、多くのユダヤ人たちがイエス様を信じると言う出来事が起こった。イエス様が見せてくださった奇跡が人々の心の中にイエス様がキリストだと言うことを悟らせた。このことを恐れた人々はパリサイ人にこのことを知らせたりもした。
    


5.イエス様はご自分を信じない人たちがいるにもかかわらず、限りない愛を見せてくださいました。イエス様の限りない愛によって救いの恵みを受け取った私は、主の愛を疑ったことはなかったか考えてみましょう。
6.イエス様はラザロだけを生き返らせたのではなく、彼の家族とともにいた多くのユダヤ人たちも生かしてくださいました。あなたもまたイエス様が示してくださった限りない愛を経験した者として、周りにいる人たちにこの愛を伝えるために何を決断しなければならないか考えて分かち合ってみましょう。




イエス様はラザロの死によって泣いている者たちを見て、心を痛められました。彼らのなかにはイエス様がラザロを生き返らせることを確信していた人はだれもいなかったからです。イエス様はこのような現実を見て憤りを覚えられたが、神様に求めることで、限りない愛を見せてくださいました。ラザロの復活によって一つの家庭の悲しみが止み、この場面を見た多くのユダヤ人たちはイエス様を信じるようになりました。このようにイエス様は人間の肉体の死だけでなく、たましいの死まで解決されようと、限りない愛を注いでくださった方なのです。この愛を経験したクリスチャンたちは常に主の愛に感謝し、その愛を拡大していくことにもっと力を尽くすべきです。

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