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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-01-29 2020年 3月号 5週次 365qt 52

ヨハネの福音書 9:26~41
霊の目を開く方法
韓国の四字熟語のなかに「목불식정(目不識丁)」
ということばがあります。
“낫 놓고 기역자도 모른다”라는 속담과 같은 뜻입니다.



パリサイ人たちはイエス様の能力と奇跡をその両目で直接目撃しました。それでも彼らはイエス様がどのような方であるかを全く知ることができませんでした。むしろ、イエス様に嫉妬して迫害するという無知な者たちでした。このような症状は、私たち自身のうちにもあるかもしれません。自分の姿を再び点検してみる必要があります。信仰生活をしていると言っても、霊の目を開くことができないでいるなら、今日の本文で、これを克服するために何をしなければならないかを調べてみなければなりません。

1.
パリサイ人たちは盲人であった人が言った「イエス様の弟子になりたいのですか」という質問に対して、どう反応していますか。答えを聞いた盲人だった人は、何と答えていますか(27~33節)。
- イエス様が生まれながらにして盲人だった人の目を開くと、パリサイ人たちは彼を呼んで、「イエスがどのようにしてその目をあけたのか」と聞いた。そうするとその人は「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか」と聞き返した。この答えを聞いたパリサイ人は、彼をののしり、次のように言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ」。自分たちはモーセの律法を守っている者だということを強調しながら、イエス様を認めないのである。このような姿を見た、目を開いてもらった盲人は「これは、驚きである」という風に言っている。彼は神様から来た者でなければ、自分の目を直すことはできないという事実を知っていたからである。

2.イエス様は盲人であった者と対話しながら、ご自分を誰だと言っていますか(35~37節)。
-イエス様は会堂から追い出された盲人であった人を捜し「あなたは人の子を信じますか」と聞かれた。これはメシヤを信じているかを聞いているのである。彼が「その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」と答えると、イエス様は「あなたと話しているのがそれです」と答えられた。つまりご自分が「人の子」であると明らかにされたのである。盲人であった人は、イエス様のことばを信頼し、人の子であるイエス様を礼拝した。



3. イエス様はご自分がこの世に来られた目的を何と言っておられますか。イエス様が語られた「見えない者」と「見える者」とはそれぞれどのような人のことを言いますか(39、 41節)。
-イエス様がこの世に来られた理由は、さばきのためである。イエス様は見えない人たちを見えるようにし、見える人たちは見えないようにされる。ここで「見えない者」は、救い主が必要だという事実を悟り、救いを願って、謙遜にそのお方のもとへと進み出る者たちのことを言い、「見える者」は自分たちがすべての答えを知っており、救い主が必要ではないと考える、自らを義なる者としている者たちを意味する。
4.イエス様がパリサイ人たちに「あなたがたの罪は残る」と言われた理由は何ですか(41節)。
-パリサイ人たちが神様のみことばや律法についての知識とイエス様がどんな方であるのかについての知識が全くなかったなら、メシヤであるイエス様を見分けられないことについて、罪はなかっただろう。しかし、パリサイ人たちは、自分たちの知識、名声、高い身分を見るとき、疑うことなく、自分たちが「見える者」に属していると考えただろう。彼ら自ら、自分たちのことを義人と考えたのである。しかし彼らはイエス様を救い主として認めていなかったので、相変わらずの罪人であった。彼らは霊的に目を開かれていない者たちだった。それで霊的に目が開かれるためには、イエス様の恵みが必要だったが、それを悟ることができないでいたために、イエス様はこのような叱責をされたのである。

5.あなたは今までもイエス様に対する完全な信仰告白なく、イエス様に恵みを求めないで、自分が義人であるとしてそのことを誇って生きて来ていませんでしたか。

6.
私の弱さを認め、救い主であるイエス様の恵みを求める人生が、幸いな人生です。霊的な目を開けない状態から脱し、謙遜な姿でイエスが主である人生を生きるため、決断する部分は何か、ともに考えてみましょう。


自らを義人だとしていたパリサイ人たちは、イエスの奇跡を見ても、イエスを救い主として認めず、霊的盲人として生きていました。彼らは自らを正しく知恵のあるものとしていましたが、実際には無知な者たちでした。このように私たちも自分の力と能力を拠り頼んで生きるなら、イエス様から、霊の目が開かれていないという評価を受けることになるのです。自分の力によってではなく、キリストが自分を直してくださることを願う信仰だけが、霊の目を開かせる唯一の方法です。あなたはイエス様のみことばを黙想しながらも、無学の状態になってはいませんか。ただみことばに従い霊の目をしっかりと開いて、常に主だけを見上げて光の中に生きる主の弟子として武装するようにしましょう。

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