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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2020-01-29 |
2020年 3月号 3週次 |
365qt |
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3 ヨハネの福音書 7:25~30 遣わされた者の態度
「委任状」とは、委任者が受任者に業務の処理を委託して、業務代行権限を与える文書のことを言います。この時、受任者は自分自身の財産を管理するのと同じ水準の注意を傾けて業務を遂行しなければなりませんが、ここでは「善良な管理者の注意義務」선량한 관리자의 주의 의무(Fiduciary Duty)が付与されます。このように受任者は委任者の信頼を裏切らず利益を本人に代わって得なければなりません。これと同じように、霊的関係において神様から遣わされた人であっても、自分を遣わした神様の信頼を裏切らないようにしなければなりません。今日の本文を通して神様から遣わされた者は、どのような態度を取らなければならないか、共に考えてみましょう。
1. 祭りの時にエルサレムに集まった群れのうち、だれが、何の事で、当局者たちに不満を表しましたか。彼らは何を根拠にイエス様のことを、キリストではないと判断したのでしょうか(25~27節)。 -エルサレムに集まった人たちのうち、ある人々は、当局者たちがなぜイエス様に対して何の対処もしないでいるのか疑問を持った。彼は前にイエス様を殺そうとしていた当局者たちが、今はイエス様をそのままにしていることを見て、キリストとして認めたのだろうかと言っていた。 -彼らは「キリストはどこから来るのかだれも知らない」という預言を根拠としてイエス様がキリストではないと判断した。なぜなら人々がイエス様の出身地域を知っていたからである。
2. イエス様は自分の出身地域を知っているという人たちが、重要な点を知らないでいると指摘しました。このように語られたのはなぜでしょうか(28節、 参照/ ヨハ 7:18)。 -イエス様は自分の出身地域について話す人たちへ、「わたしを遣わされた方」について知らないでいることを語られた。 -当時人々はイエス様の出身がガリラヤ地域であるという誤解をしていたので、イエス様がキリストであるはずがないと主張していた。しかし、イエス様はベツレヘムで生まれたダビデの子孫であったので、彼らの誤解をうちこわすのに十分な条件を備えておられた。しかし、イエス様にとって重要なことは、自分の出身地域に対する問題ではなく、自分を遣わされた方について、人々にもっとよく知らせることであったので、出身地域についてではなく遣わされたお方について話されたのである。これは子なるキリストがただ神様だけをあらわし、栄光を帰そうとされる行動であることを知らせている。
3.イエス様を疑心した人たちと違って、多くの人々はイエス様をどのように受け入れましたか。イエス様が彼らにご自分の帰るところについて語られた理由は何ですか(31、 33節)。 -ある人々がイエス様の出身地を根拠にして、キリストではないと疑ったこととは反対に、群れの中の多くの人たちはイエス様が行われた奇跡を見てそのお方を信じた。しかしイエス様は自分を信じる人たちに、彼らから離れていく計画、特に「遣わされた方のもとに行く」計画についてお話しされた。 - イエス様が自分を信じる群れに、彼らから離れる計画を語られた理由は、自分の使命を明確に知っておられたからだ。神様から遣わされた者として、再び自分を遣わされた神様のもとに戻らなければならないことがイエス様の使命であった。イエス様は、ご自分の使命を明確に知っておられたので、奇跡を根拠として自分を歓迎する群れの人気を得ようとはしなかった。神様に遣わされた者はイエス様のように行動しなければならない。自分を非難する人たちにも自分を遣わした神様について証しすることに力を尽くし、自分を歓迎する人たちにも自分が帰って行くべき神様について語ることに力を尽くさなければならない。
4.イエス様はなぜご自分を表すことより、自分を遣わした神様について語ることに集中されたのでしょうか。自分より神様に対してもっと集中されるイエス様を見て、何を感じますか。 -イエス様は使命中心の歩みをされたので、自分よりも、自分を遣わした神様にもっと集中されていた。実際にイエス様はくり返し、このような態度を見せられた。このことに対する色々な考えを分かち合ってみよう。 - そしてイエス様がご自分より神様にもっと集中するように努力される姿を見て何を感じたか分かち合ってみよう。 5.私たちは神様に遣わされた者であり、最終的には神様のもとに戻るべき存在です。あなたはいのちとアイデンティティーを正しく認知した状態で、神様から来て、神様のもとに帰る存在であるという事実に集中して生きていますか。
6.あなたが神様から来て神様のもとに帰る存在であるということを覚えるなら、神様の栄光をあらわすために何にもっと集中しなければならないでしょうか。分かち合ってみましょう。
遣わされた者は自分を遣わした神様のみこころを完全に表すところに力を尽くさなければなりません。イエス様は自己弁明や、自慢などを一切せず、ただ自分を遣わした神様にだけ集中しました。世は、自分を飾ったり、人から見たときに褒められる姿に自分を整えたりすることに集中し、時にはそれが美徳ともされますが、神様から来て神様に戻る使命者は、完全に神様のみことばがこの地にたてられることを祈り、自分に任されたことに最善を尽くさなければなりません。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハ 14:12)。キリストが先に担われた、遣わされた者としての使命を、私たちも完全に果たして生きることが、この地を生きる受任者としての姿勢であるということをいつも覚えましょう。
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目録
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