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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-01-29 2020年 3月号 2週次 365qt 574

ヨハネの福音書 6:1~15
いのちのパンとして来られたイエス様
キリスト教の霊想家ウィラードは『キリストを知る知識』기독교 영성가 달라스 윌라드는 《그리스도를 아는 지식》という本で、「多元主義社会で、キリストに対してする信仰告白が最も確実な知識である」と言いました。
キリストを知る知識なくしては、本当の信仰もないという意味です。また、世と教会の中でキリストを知る知識を無視する現状をうちこわしてこそ、正しい信仰を立てることができるという意味でもあります。イエス様の時代にも、弟子たちを含めた多くの人達が、キリストに対して無知でした。人々はなぜイエス様を目の前においても、その方を知ることができず、自分たちを救ってくれる指導者を待ち続けたのでしょうか。二匹の魚と五つのパンの出来事を通して、共に考えてみましょう。

1. イエス様がテベリヤの湖の向こう岸に行かれると、人々はなぜイエス様について来たのでしょうか。このことを見られたイエス様はピリポに何を頼みましたか( 1~5節)。

- 多くの人々が、イエス様が病人たちになさったしるしを見たのでつき従ってきた。
-イエス様は数多くの人達が自分の方に来るのを見て、弟子であるピリポに「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」と聞かれた。
2.イエス様の言われることを聞いて、ピリポは何と答えましたか。イエス様はピリポの答えをどのように評価されたと思いますか(6~7節)。
- イエス様の言われることに、ピリポは「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と言った。
- ピリポの答えは、イエス様にとって正しい答えではなかった。イエス様はすでにピリポがどのように答えるかを知っておられた。ピリポを試すために質問をされたのである (6節)。ピリポは質問を受けた通りに答えなかった。イエス様は「どこから」を聞いたのだが、ピリポは「どれくらい」を答えた。ピリポは統計を用いて、早い計算をした。当時一デナリは労働者の一日の賃金に相当したが、ここにあるめいめいから少しずつ集めて二百デナリを集めても、足りないと思う、と悲観的な話をしている。



3.アンデレはイエス様にどのような報告をしましたか。イエス様は少年が持って来た大麦のパン五つと小さい魚二匹で何をされましたか。当時大麦のパンはどのような食べ物だったでしょうか(8~13節)。

- アンデレは「大麦のパンと小さい魚二匹」を持っている少年がいると言ったが、イエス様に、このようなものが大勢の人達に何になるかと言った。
-イエス様は草の上に皆をすわらせるようにと言われた。そのようにした後、イエス様が、パンと魚を取って、感謝をささげた後、すわっている人たちにほしいだけ分けられた。人々はおよそ五千人にもなる人数がいたが、みながいっぱい食べた後、残ったものを集め、一つもむだに捨てないようにと言われた。残ったものは十二のかごがいっぱいになるほどの量だった。
-ヨハネの福音書だけがこのパンが「大麦のパン」だったと言っている。大麦のパンは貧しい人たちが食べる価格の安いパンだった。豊かな人たちは小麦で作ったパンを食べていた。
4.二匹の魚と五つのパンの奇跡を経験した人たちが、イエス様を本当に、世に来られるはずの預言者だと言ったが、このことばはどんな意味だろうか。人々の反応に対して、イエス様は、ひとりで山に退かれたが、それはなぜだろうか(14~15節、参照 申18:15; ヨハ 6:35)。
-人々はイエス様が行われた奇跡の一部始終を見て、世に来られるはずの、期待していた、預言者であると立証するに十分な証拠を見た。多くの人達に、あれほどの多くのパンを分け与えられたことを見て、神様が荒野でマナを与えられたときにモーセがした役割を思い出したのだろう。この推測には疑念の余地がない (참고 申 18:15)。

-人々は初めの預言者モーセがイスラエルの民をエジプトでの奴隷生活から脱出させてくれたのとおなじように、二番目の預言者は彼らをローマの圧政による隷属支配から脱出させてくれると信じていた。この事実をイエス様が知り、彼らから離れ、ひとりで深い「山へ」行かれた理由である。
-イエス様は二匹の魚と五つのパンの奇跡の後、奇跡の意味と自分がこの地にメシヤとして来られた理由を説明された。人々は、メシヤは、イスラエルの数多くの人達が熱望してきた強力な解放者として来ることを考えていた。しかしイエス様は、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」 (ヨハ 6:35)と言われた。イエス様は人々に霊的な滋養分を供給し、かれらの魂の深い霊的渇望を満たす意味で、「いのちのパン」なのだ。このいのちのパンであるイエス様が十字架で人間のために自らを惜しみなく差し出されたので、彼に来る者は飢えることなく、彼を信じる者は渇くことがない。まさに永遠のいのちの恵みを受ける。


5.イエス様は二匹の魚と五つのパンの奇跡を通して、飢えて渇いている者たちが自分のところに来て、永遠のいのちを得ることができることを教えた。あなたはいのちのパンとしてこられたイエス様を正しく理解していますか。イエス様が下さる魂の供給を日々感じて生きていますか。
6.キリストの満ち満ちた知識を完全に知るために、どんな部分に変化と努力が必要だと主増すか。互いに分かち合ってみましょう。


イエス様はご自分が約束されたメシヤで、神の御子であると言う事実をはっきりと示されました。人々はイエス様がイスラエルの数多くの人々が待ち望んできた強力な政治的解放者として、イスラエルをローマの圧政から救い出してくれることを願っていた。しかしイエス様は私たちに、永遠のいのちと喜びを与えるために十字架の道を歩まれ、空腹な者たちの腹を満たすためにこの地で、五つのパンと二匹の魚の奇跡を与えてくださいました。信仰生活をしながら、以前とおなじように自分がいい地位に上り詰めることを願い、世の栄誉を求めて生きていませんか。今週一週間、いのちのパンとして来られたイエス様を深く考えて、いのちのパンであるイエス様を味わう事よりも大きな恵みは他にはないと言う事実を感じながら生きるようにしましょう。

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