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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2020-01-29 2020年 2月号 4週次 365qt 610
4
ヨハネの福音書 4:13~26
真の礼拝者になるには
古代ギリシャの雄弁家デマデスは、アテネ市民たちへ国家の深刻な危機について伝えましたが、誰も彼のことばに耳を傾けませんでした。彼が市民たちの耳目を引くために寓話を用いると、人々が関心を見せ始め、デマデスは本質より枝葉の部分に関心を見せる人々に対し、叱責したそうです。私たちもアテネ市民たちのように本質である神様のみことばを逃して、他のことに神経を遣う過ちを犯してしまっていることがあります。今日の本文に登場するイエス様とサマリヤの女の対話を通して、本質に集中する本当の礼拝が何であるかをともに考えてみましょう。


1. 永遠に渇くことのない水をあげようと言うイエス様のみことばに、サマリヤの女は何を求めましたか。イエス様は何と答えましたか(14~16節)。
-サマリヤの女はイエス様のみことばの本質を理解できず、文字通り受け取って、永遠に渇くことのない水をくださいと求めた。もう今後は、真昼間に水をくみに来なくてもいいようにしてくださいということだ。
女の願いを聞いたイエス様は、女に、夫を呼んでくるようにと言った。愚問賢答を通して、女に、自分自身がだれであるかを知らせようとしたのである。

2.イエス様を預言者だと思ったサマリヤの女は、礼拝についてどのように言っていますか。これに対するイエス様の回答は何ですか(20~21節)。
-サマリヤの女は、サマリヤの先祖たちは、サマリヤ人がいる場所で礼拝したが、イエス様のような預言者たちはエルサレムで礼拝をするのがふさわしいことだと話しているのを聞いた、と答えた。
/
サマリヤの女のことばを聞いたイエス様は、場所が重要なのではないと指摘した。父に礼拝をする時が来ることを語られた。本質を逃してしまっている女に、本質を教えてあげようとしたのである。
3.イエス様は、サマリヤ人たちは知らないで礼拝していると言われました。どうしてでしょうか。イエス様が語られた「救いはユダヤ人から出る」ということばはどういう意味でしょうか(22節、 参照/ 시 76:1)。
-イエス様はサマリヤ人たちが礼拝する対象である神様に対し、正確に知ってはいないことを指摘された。神様を礼拝するとは言っていても、本当に神様を知って礼拝しているのではないことを知らせておられるのだ。イエス様が救いがユダヤ人から出ると言われたのは、救いについて教えている旧約全体が、ユダヤ人から出ているものであり、イエス様ご自身もユダヤ人であることをはっきり表している。ユダヤ人たちは、救いについて正確に知っていたが、サマリヤ人たちも礼拝する対象がだれなのか正確に知らなければならないと言ってくださっているのだ。整理すれば、イエス様は礼拝する場所が重要なのではなく礼拝する対象がだれなのかを知って礼拝することがもっと重要だと教えておられる、と理解すべきである。

4. イエス様は真の礼拝者たちはどのように礼拝すると言っておられますか。その意味は何でしょう (23~24節)。
- イエス様は女の人に、真の礼拝者たちは霊とまことによって礼拝すると語られた。神様は霊であるので、霊とまことによって礼拝しなければならず、神様はそのように礼拝をささげる者たちを求めておられると言われた。/
霊とまことによって礼拝するということは、神様を人生の中にお迎えし、神様に集中して礼拝することを意味している。「霊」は神様が住まわれる人、なおかつ、神様の主権を認める人のことを意味する。「まこと」はキリストを通して与えられた完全なる真理を持ち、キリストに焦点を合わせることを意味する。だから「霊」と「まこと」によってささげる礼拝は、神の主権を認め、聖書のみことばに従ってキリストに焦点を合わせてささげられる礼拝のことを言う。
5.クリスチャンは神の前で本当の礼拝者とならなければなりません。あなたは神様の主権を認め、聖書のみことばに従って、瞬間ごとに、キリストに焦点を合わせる礼拝をささげていますか。
6.人生の本質を逃さず、完全なる礼拝をささげるために努力しなければならない部分は何でしょう。それぞれ考えて分かち合ってみましょう。



サマリヤの女は礼拝の本質を分かっていないままで、枝葉にだけ集中すると言う過ちを犯しました。しかしイエス様はすべての信じる者たちが本質に集中する真の礼拝者になることを願っておられます。みことばに集中し、生活の中で完全な礼拝をささげることを願っておられます。だからエス様の弟子たちは霊とまことによって礼拝しなければなりません。霊である神様の主権を認め、イエス様を通して伝えられる真理を信じて従う礼拝をささげなければならないのです。このことのために、いつも思考、感情、意志、関係、行いのすべてを神様にささげる全人格的礼拝を神様にささげなければならないのです。このような、五つの要素を神様に完全にささげる、イエス・キリストの完全なる弟子になることができますように。

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