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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-08-29 2019年 11月号 4週次 365qt 95

ヨハネの黙示録 7:9~17
患難から抜け出る者たち

ヘミングウェイは『スミルナの埠頭にて』という短編小説を通して、第一次世界大戦の終戦協定の後にも継続して存在していた戦争の日常を伝えています。この小説は1919年、ギリシャがトルコの港湾都市スミルナを侵略して3万名の使者が出た、むごたらしい事件について記しています。このような人類の戦争の歴史は、絶えず、霊的戦いを戦い、患難を耐えているクリスチャンの姿を思い出させます。しかしヨハネは世で患難にあっているクリスチャンたちに希望のメッセージを伝えています。今日の本文を通して患難をどのように理解しなければならないか、どのような態度で生きるべきかについて考えてみましょう。


1.「だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆」はどのような姿をしていますか。彼らは御座と小羊の前で何をしていますか(9~10節)。
-数えきれないほどの大ぜいの群れは、白い衣を着て、しゅろの枝を手に持っていた。
-群衆は大きな声で「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある」と叫んでいた。
2.長老のうちの一人は、大ぜいの群衆がどのような経験をした者たちだと話していますか(13~14節)。
大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って白くしたのだと言っている。

3.大ぜいの群衆が小羊の血によって白くなったという言葉は、何を意味していると思いますか(14節)。
-「小羊」はイエス・キリストを意味する。そして「白い衣」は勝利を祝う服装を意味する。世で大きな患難を受けていた彼らのために、イエス・キリストが十字架でいけにえになって血を流された。その犠牲のいけにえによって罪を赦されて罪から勝利したのだ。

4.患難を抜け出て、白くされたその大ぜいの群れは、これからどのような人生を生きるのでしょうか。そのことは、私たちにとってどのような意味がありますか(15~17節)。
-群れは神様の御座の前で、昼も夜も、神様を礼拝するようになる。御座に着いておられる神様が幕屋を通して、大ぜいの群れの中に住まわれる。群れはイザヤが預言していた通り、飢えることも、渇くこともなく、太陽や炎熱によって打たれることもない(参照/ イザ49:10)。まるで荒野のような患難の人生から救われたのである。これは出エジプトをしたイスラエルの民を、バビロンの捕虜であったが、尊くされたイスラエルの民を思い起こさせるみことばでもある。群れは涙をすっかりとぬぐい取ってくださる牧者である神様と、いのちの泉に住まうようになる。
現在私たちは、言葉では言い尽くせない患難にあっているかもしれないが、この苦難の末には、涙すっかり現れる希望があるということを見て取れる。神様の民である私たちは、神様のさばきによって守られている存在であるということが分かる。これ以上苦痛を受けなくてよくなる日を望みつつ、終末の祝福を期待しながら、それを味わうことができますように。



5.日常の苦難と患難から救い出してくださる方はただ神様おひとりだけです。あなたは日常の苦難と患難から抜け出させてくださる神様を全的に信頼し生きていますか。
6.神様を最後まで信頼し、与えられた患難に打ち勝つために、あなたが決断すべきことは何でしょう。ともに分かち合ってみましょう。


使徒パウロは二十四人の長老のうち一人の人との対話を通して重要な事実を知りました。患難を通った神様の民が、患難から抜け出たということです。そしてこれ以上、飢えることも、渇くこともなく、何ひとつとして傷むところのない、涙もすっかりとぬぐい取られて、神様とともにいるようになります。私たちが神の民としてこの世で味わう患難は、永遠ではありません。この患難には終わりがあり、その末には、牧者であるイエス様ご自身が、私たちをいのちの泉へと導いてくださいます。それで私たちは現在味わっている患難に挫折することなく、神様を最後まで信頼して患難から抜け出す者とならなければなりません。そのようにするとき、人生の中で、神様の国の祝福と喜びを味わう、本当の神の民として生きるようになるのです。

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