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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-08-29 2019年 10月号 2週次 365qt 620

伝道者の書4:1~6
共に生きる
最近、人々は「自分さえ成功すればいいのではないか」、「自分の身の回りの事だけでも手が回らないのに…」と考えて、利己的な生活を追い求めることが多いようです。忙しくて余裕のない日常で、人間の悪い本性がそのまま表れてしまっているように見受けられます。しかし伝道者は、利己的な人生を追求するよりも、真理である神様の御心に従って、人生の本当の目的と意味を発見することを願っています。それだけでなく、慰めがあって、人と共に生きていく人生がどんなものかを悟ることを望んでいます。堕落した世で、私たちの人生はどのようでなければならないか、伝道者が追及する人生を通して調べてみましょう。

1.伝道者は弱い者を踏みにじって搾取する不条理な現実をどのように表現していますか(1節)。
-伝道者は世で権力を持った人に横暴や虐待をうけた弱者が、悲しみ、涙を流すが、だれも慰める人がいないと言っている。

2.伝道者は不義な世で虐待と苦痛を受ける悲惨な状況をどのように見ているでしょうか(2~3節)。弱い者の悲しみを誰も慰めないのはなぜでしょう。
- 暴虐な者がもっと大きな権力をふるっている姿を見る。伝道者は、このような世では、むしろ、死ぬことのほうがもっとましではないかという事を語る。また、この世に生まれなかった方がまだましではなかったのかと、非常に冷笑的に語っている。
- 権力と力が、強い者の手にあるので、これを恐れて、あるいは、自分に被害が及ぶことを好まず、誰も慰める勇気を持つことができない。また利己的な信仰生活に陥って、自分自身が被害を被ることを避けて、他の人の苦痛から目を背けてしまう。

3.伝道者は弱肉強食の現実を生きる人が直面することをどのように表現していますか。これは何を意味しているのでしょうか(4~5節)。
-人は皆、あらゆる労苦と仕事の成功によって、隣人からねたみを買う。愚かな者は、手をこまねいて、自分の肉を食べる。
-これは伝道者が弱肉強食の悲惨な現実にあって、ねたみと嫉妬であふれる競争社会の非情な現実を見て、残念に思う気持ちを意味する(4節)。人間のこのような姿が愚かである理由は、怠惰に陥り、自分で自分を苦しめ(5節)、世的な成功と、欲望にだけ導かれて、本当の平安を楽しむことができないからだ(6節)。

4.伝道者はねたみと嫉妬があふれる競争社会を見ながら、嘆いていますが、このような姿が現れ出る背景は何でしょう。またこのことはどのような結果をもたらしていますか(参照/伝 4:8)。
- 人々が熱心に働き、成功を収めようとする動機は、隣人に対するねたみのためだ。これもまたむなしく、風を追うようなものだ。私たちの社会はあらゆる労苦と努力を尽くしても、称賛は愚か、人から悪く言われ、自分が努力した分だけ認められるということは、まずない。これは競争社会の悲劇的な姿である。正当な努力と価値を評価するより、なんとかして、人を引きずり降ろしてこそ、心がせいせいするというような社会なのである。このような人生を生きるしかない理由は、私たちが人から認められること、ほめられることに対して、一喜一憂して生きているためである。神様は人から認められること、ほめられることを意識することから離れなければ意味のある人生を生きることはできないと語っておられる。
-伝道者は、人々が競争社会で、ねたみと嫉妬の結果、個人主義に走り、個人主義は孤立と苦しみをもたらすと語っている(伝 4:8)。欲のために人間が楽しむことのできる楽しみを失ったまま、徹底的に孤独な身上となってしまうのである。彼の唯一なる友は、金である。

5.不義な世と競争社会に生きていて、人に慰めを与える存在にもなれず、他の人が成功する姿にねたみを覚えるなどして、自分自身を苦しめたり孤独に陥ったりしてはいませんか。
6.神様は私たちが自分より他者をより優れた者と思い、隣人とともに生きることを願っておられます。このために、自分の中に変えられなければならない姿があるとすれば、それはどのような姿でしょうか。考えて分かち合ってみましょう。

私たちは人との競争や争いの中でどちらが生き残れるかという熾烈な感情に巻き込まれ、相手を敵だと考えて行動する、不義な時代を生きています。隣にいる兄弟姉妹をケアし愛する余裕を失ったまま、一層荒廃した心で生きて行くのです。伝道者は、私たちの人生のそこここに罪が深く染みついて、ゆがんだ現実をつくり出していることに嘆き、他の人よりもっと上に秀でようとするねたみと競争心を、風を追うようなむなしいことであると、人に呼びかけ、目をさまさせようとしています。人の息のように短い世を生きるとき、必要なことは、自分だけを表そうとする愚かさを捨て、周囲の人達と一緒に生きていく知恵であると語っています。これは知恵の源である神様が私たちに要求しておられる生き方です。ですからいつも神様の御心を正しく立てて、隣人をかえりみながら、仕える喜びを味わう主の子どもとなりましょう。

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