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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-08-07 2019年 9月号 3週次 365qt 783
コリント人への手紙第二 4:5~15
注目を集める、土の器の中の宝
韓国のことわざに「財布のなかのキリ」という言葉があります。とがっているキリは、財布の中に隠して入れていても、突き抜けて出てしまうという意味です。つまり、ずばぬけた才能を持った人は隠れていてもその実力によってあらわれ出ると言う意味です。クリスチャンの生活もこれと同じです。なぜなら、神様が下さった福音の力で、土の器のような私たちが、世の人々の注目を集めるようになるためです。パウロが書いた手紙を見ながら、クリスチャンの生活が、なぜ人々の注目を集める宝を秘めたものに例えられるのかともに考えてみましょう。


1.パウロはコリント教会の信徒たちとの関係において、自分の身分を何と言っていますか。また自分と同労者たちが何を持っていると言ってたとえていますか(5、7a節)。
-パウロは自分と同労者たちが、イエス様のためにコリント教会の信徒たちのしもべになった者たちであると言っている。
-パウロは自分と同労者たちを、土の器の中に宝を入れている人々であると言っている。

2. パウロが言った土の器と宝のたとえの持つ意味は何でしょう。このようなたとえを上げて、パウロがコリント教会の信徒たちに気づいてほしいと思っていたことは何でしょう (7b節)。
- ここで土の器とは、壊れやすい人間を意味しており、宝はキリストの福音を意味している。
-パウロは、壊れやすい人間が、貴重な価値あるキリストの福音を入れているので、これはただ神様の力によってのみ可能なことであるということを気付かせようとしてこのような表現を用いた。

3.パウロは地からが神様にあるということを悟ったとき、どのようなことが起こると告白していますか。パウロが表現したこれらの困難な状況と、それを克服した状況にこめられている意味は何でしょう(8~9節)。
- 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはなく、途方にくれていても、行きづまることはなく、迫害されていますが見捨てられることはなく、倒されますが滅びないと告白いている。
- パウロはそれぞれの困難な状況(四方八方から苦しめられる、途方に暮れる、迫害、倒される)と、その状況を克服した状態(窮することはない、行きづまることはなく、見捨てられず、滅びない)を提示する。
「四方八方から苦しめられる(hard pressed-NIV、 afflicted-NASB) vs窮することはない (not crushed)は、苦しみを受けてはいるが、つぶれないという意味で、「途方に暮れる」(perplexed) vs行きづまることはない(not despairing))は当惑するようなことにあっても、絶望しないと言う意味で、「迫害(persecuted) vs見捨てられることはない(not abandoned-NIV、 not forsaken-NASB)」は、迫害を受けても捨てられないと言う意味で「倒される(struck down) vs滅びない(not destroyed)」は打たれて倒れることはあっても破壊されることはないということを意味している。

4.パウロは自分が四方八方から苦しめられても、コリント教会の信徒たちの中に、イエス様のいのちが完全にあらわされることを希望しました。パウロがコリント教会の聖徒たちにイエス様のいのちと復活信仰の原理を伝えるところに努力をしたのはなぜでしょう (10~11節、 参考/Ⅱコリ 1:9~10)
-パウロは、死が自分の身に帯びていても、恐れなかった。彼は死んだ人を行かす神様の力を全的に信頼していたからである。これは言い換えれば復活に対する確固たる信仰があったからである。だから自分は死ぬことになっても別に構わないが、ただ弱いコリント教会の信徒たちにはいのちの業が完全にあらわされることを願っていた。このことを通してパウロ自らはコリント教会の信徒たちに対する使徒としての権利を完全に弁護したのであり、弱いコリント教会の信徒たちについては、神様が下さるいのちという恵みを完全に受け取り味わうことを願っていた。

5.パウロは土の器の中に入れている宝が人の目に明らかにされていく人生を生きているクリスチャンの姿で、自分には死が、コリント教会の信徒たちにはいのちが働くことを願った (12節)。あなたはパウロのような献身をもって、周囲の人たちにイエス様のいのちを完全に体験させていくことに力を尽くしていますか。
6.自分自身は壊れやすい土の器であっても、神様の力によって宝のような福音を持っているとすれば、このことを周囲の人に体験させるためにどのような努力をしたら良いでしょうか。
パウロは自分をコリント教会の信徒たちに仕えるしもべであると表現しました。彼にとっては信徒たちに仕え、彼らのからだにイエス様のいのちが現れることが何よりも重要だったからです。パウロのこのような献身は、クリスチャンとして、当然のごとくしなければならないことです。クリスチャンは、神様の力を着せられて生きていく者であるので、世の注目を避けることはできません。ですからいつも神様の力を着せられて生きていくという姿勢をしっかり保ち、自分の中にある復活信仰をほかの人に完全に伝えて行かなければなりません。私たちは壊れやすい土の器ですが、その器のような人生を貴重なものにしてくださる方は神様であるということをよく知り、日々神様に栄光をお返ししていく人生を生きる神の民となりましょう。

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