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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-08-07 2019年 9月号 2週次 365qt 693
コリント人への手紙第二 2:12~17
キリストの香りがかおる人生

香りは空間に影響を与え、人の気分まで左右する力を持っています。もしあなたのいる空間に悪臭が漂い、眉をひそめていやがる人がいれば、芳香剤を使ってこれを解決することができます。それと同じようにクリスチャンは世の悪臭のため、苦しみむときがあります。そのとき、不平不満を言わずキリストの香りを放ち、あなたの周りに変化をもたらさなければなりません。それがクリスチャンの使命です。パウロは今日の本文を通してキリストの香りが放たれる生活とは何かについて話しています。キリストの香りを放ちながら生きているか、共に考えてみたいと思います。

1.パウロは、トロアスに福音の門が開かれていたにもかかわらずマケドニアに行きましたが、それはなぜでしょうか(12~13節)。
- 神様はパウロがキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、福音を伝えることのできる道を開いてくださった。しかしパウロはそこで会うことにしていた兄弟、テトスに会えなかったことからマケドニアに行った。

2.パウロが安らぎのない気持ちであったにもかかわらず神様に感謝できたのはなぜでしょう(14節)。
-パウロはコリントに派遣されたテトスのことを心配し、心に安らぎがなかった。それでもパウロが神様に感謝できたのは、神様がキリストにあって勝利を与えてくださり、どこでも私たちがキリストを知る知識の香りを放つようにしてくださったからである。

3. 「キリストによる勝利」、「キリストを知る知識の香り」をささげるパウロの告白に込められた意味は何でしょう(14節)。
-「私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え」という箇所は、「凱旋の行列に参加させる」という意味に訳されている聖書もある。
パウロはローマが大きな戦いで勝利をして帰ってくる将軍を歓迎し、その栄誉をあがめるために挙行した凱旋行列をたとえとして用いた。ローマに入城するとき、凱旋将軍は、兵器に乗り戻って来た。その後ろには戦利品や鎖につながれた捕虜たちがついてきていた。パウロはこの凱旋行列を頭の中に描きながら、凱旋将軍であるイエス・キリストが彼とともに勝利の行進に私たちを加えさせたと語り、神様に感謝をささげている。
「至る所で私たちを通して、キリストを知る知識の香りを放ってくださいます」とは、キリストを知る香りとは、凱旋行列が来る時に祭司たちが香を焚くと、そこここにいい香りが満ちたことから、当時、市民たちはその香りをかぎながら、凱旋の将軍を歓迎する行列が行き過ぎるのを知ったのであった。パウロは自分をキリストの使徒として立ててくださり、自分を通して、いく先々でイエス・キリストを証しさせてくださる神様に感謝をささげていたのである。

4.パウロはコリント教会の信徒たちに、私たちは「神の前にかぐわしいキリストのかおり」であると告白し、「このような務めにふさわしい者はいったいだれでしょう」と言っています。パウロの子の叫びにこめられた意味は何でしょう。パウロが考えた福音伝道者の態度とは何でしょうか(16~17節)。

-パウロはコリントの信徒たちに「このような務めにふさわしい者はいったいだれでしょう」と言っている。この質問には答えもすでに込められており、その答えは、「だれもいない」である。福音の生活と働きは決して人間の能力と手段を基盤にして遂行することはできない。パウロはただ神の恵みと力によってのみ可能であると言っているのである。
- 当時のコリント教会にはみことばの理解を妨げ、混乱をもたらす、偽りの者たちがいた。混乱をもたらすというのは、神のみことばである福音に混ぜものをするようなことである。神の使命を受けた者たちは神のみことばを持って個人的に得をしようという心をもってはならず、教会のメンバーたちを惑わすようなことをしてはならない。ただ神様の御前とキリストにあって純粋な心でその務めをしなければならない。


5.私たちはキリストのかおりになって、偉大な福音伝道の働きに純粋な心で献身しなければならない。今あなたはキリストのかおりを放ちながら生きていますか。

6.あなたの人生の場所で、キリストのかおりをあらわすために実践するべきことはなにか考えて分かち合いましょう。


私たちはキリストのかおりです。神様は私たちを通していのちの福音が流れて行くようになることを願っておられ、私たちが置かれている場所でキリストのかおりを放ちながら生きることを願っておられます。もし私たちが、置かれている場所でキリストのかおりを放ちながら生活するなら、主と関係なく生きていた人々に良い影響力を及ぼすようになります。ですからかおりを放ち、それをあらわしていくことを恐れてはなりません。まるで凱旋行列に参加する者の思いで、日々かおりを漂わせる人生を歩ませてくださる神様に感謝をし、従順の思いで、主の働きの務めを果たさなければなりません。福音宣教は人の能力や手段によってできるものではありません。ただ神様の恵みと力で主を知らない者たちへキリストを知らせる香りを完全に放つ主の弟子となりましょう。

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