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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-05-24 2019年 6月号 2週次 365qt 640
民数記 9:15~23、 11:1~9
選択の岐路で
私たちは人生の中で数多くの選択の門を通過します。進学や就職、結婚など大小さまざまな人生の問題に直面するときあなたは、どのような基準で選択してきましたか。多くの人々は自らの経験やそれが自分の益となることかどうか、また自分にとって楽なことかなどを基準としてきました。しかし神様の子どもは目の前に置かれた益を追い求めることより、その裏側に込められている意味までも考えなければなりません。今日の本文に登場するイスラエルの民の姿と彼らが選択をしていく過程を見ながら、自分だったらどのような選択をするのか共に考えて見ましょう。


1.イスラエルの民が幕屋を建てた後起こった自然現象は何でしょうか。彼らはその現象にどのように反応しましたか(9:15~17)。

-幕屋を建てた日の後、雲が幕屋を覆い、夕方になると、幕屋の上に火のように見えるものがあらわれ朝までそこにあった。昼には雲が幕屋を覆っていた。
-イスラエルの民は雲が幕屋から立ち上るときに旅立った。雲がとどまるところでイスラエルの民は宿営した。
2.イスラエルの民が幕屋の上に起きる自然現象を基準にして進むかとどまるかを決めた理由は何でしょう。自然現象にしたがって進むかとどまるかを選んだ彼らを見て、何を感じますか(9:18~20、 9:23)。

-イスラエルの民は雲が立ち上ったり、とどまったりすることを「主の命令」としてとらえていた。彼らは自分たちの旅立ちと宿営が彼らの決定ではなく、神様が導かれなければならないことを知っていたので、このような導きに従って旅を決定していた。
―イスラエルの民が神の命令を選択の基準としたことを見て、それぞれ感じる正直な感情について話してみよう。
3.神様の導きに従って進んでいた民が不平を言うと、神様は怒り、火でさばかれた。民はモーセにどのように反応しましたか。神様はモーセの反応にどのように答えられましたか (11:2)。
-民は、火で宿営の端がなめ尽くされるのを見て、モーセに対しこの状況を解決してほしいとわめいた。モーセは主なる神様に祈り、神様はモーセの祈りにこたえられ、火は消えた。

4.イスラエルの民の中に混じってきていた者たちによって、イスラエル人は不平を言いましたが、その内容は何でしたか(11:4~6)。主の命令に従って進んでいた彼らが感謝の言葉ではなく不平の言葉を選んだのはなぜだったのでしょうか。
-民と混じって住む者は、激しい欲望にかられた。この影響を受けた民たちは、自分たちが食べるものについての不平不満を口にするようになった。彼らはエジプトにいた時は、ただで魚、きゅうり、すいか、にら、たまねぎ、にんにくをたべていた。肉も食べることができたのに、今はそれらを食べることができないと言って不平不満を言った。
-イスラエルの民は彼らと混じって住む人たちの欲のために、神が導いてくださった恵みを忘れ、エジプトで食べていた食べ物を思い出し、今の状況が不満であるとして不平を口にした。彼らは、神の命令がすべての選択の基準とならなければならなかったのに、神の命令よりも、欲に心が奪われ、このような不平不満を言うようになった。

5.神様の子どもは、神様の命令に従ってそのみこころにかなった選択をしなければなりません。それにもかかわらず、自分の欲のために神の命令に完全に従えず、感謝の代わりに不平不満を選択した経験はありますか。
6.人生の方向を選ぶにあたって、自分の欲と神様の命令のうち、何に従って動いているのか考えてみましょう。今後、あなたが直面するであろう選択の岐路で神様の命令に従うために、普段からどのように自分自身を準備しなければならないかについて分かち合ってみましょう。

人生の旅程の基準は常に神様のみことばでなければなりません。私たちが聖書の語るところを正しく知り、従うとき、神様が道を開いてくださいます。神様のみことばを握らないなら、欲を抱くようになり、いつの間にか不平不満が私たちの人生を支配し始めます。神様の導きを忘れたまま、自分も知らないうちに悪い言葉で神様に叫び始めるようになります。だから心の中に不平不満を感じるときには、すぐに神様の前にひれ伏す選択をしなければなりません。神様が願われる姿でないことを悟った瞬間には、方向転換をし、行くべき方向をしっかりと定める勇気を持たなければなりません。選択の岐路で私たちが選ばなければならない基準は、ただ神様が喜ばれる行動であるか、そうでないかの是非にかかっていることを覚えましょう。

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