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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-28 2019年 3月号 4週次 365qt 760
マルコの福音書 10:1~12
神様の本当のみこころは

童話の中にアオガエルの話があります。死を前にした母ガエルは、一生自分のことばの反対の行動をとって来た息子にわざと、水のほとりに埋めてくれと遺言を残します。なぜなら、そうすれば水辺ではなく内陸の地に自分を埋めてくれると思ったからです。しかし息子はこの遺言だけは従わなければと思い、死んだ母ガエルを水辺に埋めました。雨が降るたびに、墓が流れてしまうのではないかと泣いたという話です。童話を通して私たちの姿を振り返らされます。私たちは神様のみことばが持っている本来の意味を正しく理解するために、どれくらい努力しているでしょうか。本文を黙想しながら神様が語ろうとされていること本来の意味が何かをじっくり考えてみましょう。

1.  パリサイ人たちはモーセが離婚について何と言っていると言いましたか。モーセが提示した離婚状を書く条件は何でしたか(4節、参照/申 24:1)。

-パリサイ人たちは妻に離婚状を離別することをモーセが許したと言った。
-申24:1「人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ」
-モーセが提示した離婚状を書く条件は、妻が結婚した後に恥ずべきことを発見した場合、つまり姦淫のような結婚生活に忠実でないことをした場合に、夫がこれを受け入れることができないなら離婚状を書いて離別するようにと言った。

2.パリサイ人たちは「モーセが妻を離別することを許した」という事実だけを強調しましたが、イエス様はこの律法が記録された原因について何と言っていますか( 5節)。
-パリサイ人たちはモーセが妻を離別することを許したことに注目したが、イエス様はその律法が記録された原因がまさに人の心のかたくなさにあると言われた。
3.神様はモーセの律法以前に、夫婦関係についてどのように言っておられますか。このみことばとモーセが与えた律法のうち神様のみこころに近いものは何ですか(8~9節、参照/創2:24)。
- 創2:24「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」
-モーセの律法以前に神様は「男はその父母を離れ、ふたりは一体となる」と言われた。イエス様は神様がひとつにしてくださったこの関係を人が引き離してはならないと言われた。
- 神様のみこころに近いものは離婚ではなく、一体となることだと分かる。


4.夫婦についての神様の命令が記録された創世記は、モーセが書いた「モーセ五書」のひとつですが、パリサイ人たちは、申命記に記録された律法だけを強調しました。その理由は何でしょうか。また彼らの態度を見ながら何を感じますか(参照/ヘブ3 :8~10)。

-マコ10:5とヘブ3:8のかたくなという単語
- ヘブ3:8~10 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。
-神様は、モーセと共に荒野でさすらったイスラエルの民の心がかたくなで、神様を試み、神様が彼らが神様の良きみこころに自発的に従えないことを見られ、細やかな律法を与え彼らの人生を導かれた。その民の子孫であるパリサイ人たちは、はるかに長い時間が流れたにもかかわらずあいかわらず頑なな心を捨てられず、神のみこころから遠く離れた行動だけをしていた。

5.良いことを願われる神様のみこころを知りながらも、自分の心地よさ、益になることのために、うわべにあらわされている決まりだけを充足させようというかたくなな心に従って生きてはいませんか。
6.心の中心になるかたくなな心を捨てて、神様のみこころをもっと知って、実践する柔らかな心を持つために何を決断しますか。

神様のみこころを悟るためにみことばに耳を傾け、神様のみこころを行おうと実践するなら、神様のみこころを間違って受け取ることはありません。しかしかたくなな心で自分の感情と思いが優先となる人生を生きているなら、神様のみこころに従わなければならない時が来ても、アオガエルのようにみことばを間違って解釈する可能性が高くなります。だから私たちは神様のみこころを正しく悟り、従うことができるように、体と心の姿勢をたださなければなりません。神様が語られた通り、膝をかがめる民に許される柔らかな心を持ち、自分の中に残っているかたくなさを捨て、神様のみこころを正しく理解する主の子どもとなりましょう。

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