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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-28 2019年 3月号 3週次 365qt 706
マルコの福音書 9:2~13
イエス様を本当の意味で経験せよ

“Don’t judge a book by its cover” また “All that glitters is not gold”のような表現は「うわべだけをみて判断するな」という内容の言葉です。このような表現は人を知る過程において、ある人に対する真価を知る前に、断片的な知識でその人を判断する場合に聞かれます。ひとりの人の本当の内面を知るならその多様な様相を体験的に知らなければなりません。弟子たちもイエス様を正しく理解するまでたくさんの経験をしました。イエス様の姿が変えられた出来事を通して弟子たちに知らせようとされたイエス様ご自身の本当の姿とは何でしょうか。






1. イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れてどこに行かれましたか。彼らの前でどのように変えられましたか(2~3節)。イエス様が輝きを放ち、白く光ったことは何を意味しますか。
-イエス様はペテロとヤコブ、そしてヨハネを連れて高い山へ行かれた。そして彼らの前でその姿が変えられることをお見せになった。イエス様の姿をマルコが描写しているのを見ると、服が白く光り、世のさらし屋ではできないほどの白く光った状態だった。
-「御姿が変わった」という動詞は、形態が変えられたことを意味するが、ここでの変形は肉体的なものとも、霊的なものともなり得るものであって、外的なものとも内的なものともなりうるものだった。特にここでこの動詞が受動態で用いられているが、このことはイエス様がご自分を啓示することではなく、父なる神様、子なる神様を啓示するもので、イエス様のご身分について神様が啓示することをあらわしている場面と言える。

2.弟子たちの前にあらわれたイエス様とともに語り合っている者たちは誰でしたか(4節) 。ペテロがこの時に提案した内容は何でしたか。ここにこめられている意味は何だったでしょうか(5節)。
-イエス様の前にエリヤとモーセが現れ、弟子たちはイエス様とともにみことばを分かち合った。

- ペテロはイエス様に、自分がここにいることは、すばらしいことだと言った。この後ペテロは幕屋を三つ造ると言ったが、この部分については多様な解釈がある。ペテロが三人の尊敬される人たちのための神殿、および、気ねんする場所を提供したという説と、彼らとの経験を長く持続させようとしたという主張がある。しかしペテロのこのような言葉をマルコが記録したのは、それが不適切なものだということを示すための意図がある

2. ペテロの言葉が終わるなり、どんなことが起きましたか。イエス様がペテロとヤコブとヨハネに警告された内容は何でしたか(7~9節)。弟子たちが死んだ者が生き返ることについて議論した理由は何でしょうか。


-雲がわき起こって、彼らをおおい、雲の中から声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」という声が終わった後に見回してみると、エリヤとモーセはいなかった。
-この後イエス様は人の子が死んだ者の中からよみがえる時まで、今見たことを誰にも話してはならないと警告された。ここで弟子たちは死んだ者の中からよみがえるといことについて、知りたがたった。
-弟子たちは死んだ者の中からよみがえることについて理解するのは難しかっただろう
ユダヤ人たちは、死んだ者の復活は、最後のさばきのために起こることだと考えていたので、人の子が復活されるというイエス様のことばについて深く考えたこともなかっただろうと思われるので、イエス様の言葉に彼らは混乱を持つしかなかった。

4.イエス様がお姿を変えられた出来事を通して、弟子たちに、究極的に知らせたいと思われていたことは何だったと思いますか(12~13節、 参照/ロマ 13:14; ガラ 3:27)。
- ガラ 3:27) バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。
- ロマ 13:14) 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません
- ペテロはエリヤとモーセとイエス様とともにいる場所を慕い求める心で、その場所にいることを望みましたが、実際、主は必ず人の子は苦しみを受け、さげすまれるしかないことを知らせておられます。このことはただキリストの苦しみと死だけがこの地に来られた主の目的であるということを弟子たちに知らせるためだった。
- ガラ 3:27とロマ 13:14には、主に従う人であれば、キリストを着なければならいと書いてある。これは私たちの人格と性質がイエス様に似て行かなければならないことを意味しており、主が望まれる人生にだんだん変えられていかなければならないことを意味する。だから私の中に、この場所での交わりがいいと思えたとしても、主が行こうと言われる方向に合わせて、服を着替える努力が必要である。

5.主は苦しみと死、そしてよみがえりを通して契約を成就するために来られた方です。しかし、私たちは相変わらずペテロのように、「私たちがここにいることは、すばらしいことです」という感情で信仰生活をしてはいないでしょうか。


6.変貌山のできごとは、イエス様がすべての律法と預言者が待ち焦がれていたメシヤであり、よみがえられて、救いを完成される救い主であることを証明しています。このようなイエス様と交わりながら、自分のうちに変えられなければならない姿勢があるなら、それは何かともに分かち合ってみましょう。

ペテロは変貌山の出来事の前に「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白していましたが、イエス様がだれであり、この地に来られた目的が何であるかを正確に悟ってはいませんでした。イエス様はこのようなペテロとヤコブとヨハネを連れて高い山に登られ、神様の御声を聞かせられました。また、エリヤとモーセ、栄光の光に包まれた姿を通して、イエス様が本当のメシヤであり救い主であることを体験させてくださいました。そしてご自分が行く道は苦しみと死、よみがえりであるということを知らされました。このように主との交わりを通してイエス様がこの地に来られた目的を正しく悟らなければなりません。弟子の道を正しく知ったなら、自分の人生を通して主の弟子であることを証しして生きましょう。

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