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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-28 2019年 3月号 1週次 365qt 685
マルコの福音書 7:1~16
本質を損なわないようにするために


伝統とは、「一共同体で、過ぎた時代に成し遂げられて伝えられてきた思想、慣習、行動」と定義されます。伝統は人生に必要な部分であり、私たちの社会を引っ張る一つの大きな枠組みとなります。しかし問題は、伝統が変質してしまい、「伝統主義」になってしまうことです。伝統を神様の戒めのように思う「律法主義」もこれと全く同じです。このような「伝統主義」が信仰生活で座を占めると、本質から遠ざかり神様のみこころを誤解することが起きてきます。今日の本文でもこのような出来事が起こりますが、クリスチャンであればどのような態度をとるべきなのか、共に悩んでみましょう。

1. パリサイ人と律法学者たちが目撃した場面はどのようなものですか。イエス様に質問した内容は何ですか(1~2、5節)。彼らが語った「昔の人たちの言い伝え」とは何でしょうか。
-パリサイ人たちと律法学者たちの中の何人かがイエス様のところに集まって来たが、イエス様の弟子の内の何人かが、汚れた手でパンを食べている者がいたのを見た。
-これに対し彼らはイエス様に、なぜあなたの弟子たちは昔の人たちの言い伝えに従わず、汚れた手でパンを食べるのかと質問した。
- 「昔の人たちの言い伝え」とは、イエス様の時代にすでにあったもので「ミシュナ」(ユダヤ教のラビたちの口伝を集大成した本)から成文化された律法解釈と関連した口伝を集めたものを意味する。パリサイ人たちはこの伝統を完全に権威のあるものと考えており、これをモーセがシナイ山で受けて伝達したものだとまで主張していた。

2.イエス様はパリサイ人と律法学者たちのこの質問にどのように答えられましたか。イザヤの預言を通し、知ることができることは何でしょうか(6~8節)。


-イエス様は彼らを指して偽善者であると定められた。イザヤの預言を通して口先だけでは神様を敬うが、心は遠く離れている、人間の戒めを教えとして教え、実際に神様の戒めは捨てていると語られた。
-神様に真の心の献身を捧げるよりも、口先だけで良さそうに見える言葉を話していることと、自分の伝統を神様の本当の戒めより上に置くことによってもたらされる結果について知ることができる。

3.イエス様がパリサイ人と律法学者たちの偽善を指摘するために「コルバン」を例として挙げられたのはなぜでしょう(11~12節)。

-コルバンとは子が自分の財産を神様にささげたら親はそれに触れることができないということを宣言するもので、両親を養わなくても良いとされる制度であった。これは神様が語られた両親を敬いなさいという律法に正面から反対するものだった。伝統の裏にはこのように利己的な動機があり、それは神様の心に反対するものだったので、イエス様は「コルバン」を例として挙げ、彼らの偽善を指摘したのである。

4.「昔の人たちの言い伝え」が初めから律法の本質を損なせるものではなかったはずです。しかし自分たちの行動に正当性を持たせるためにこれを強調したパリサイ人たちと律法学者たちを見ながら何を感じますか。

5. 私たちが属する共同体の中に残っているコルバンのような伝統主義としては何がありますか。
6. 伝統主義を克服するためには、みことばの本質を正しく悟る作業が必要です。私たちの中にある伝統主義を克服するため、どのような努力をしなければならないか、それぞれ意見を分かち合ってみましょう。

コルバンは伝統の変質から出た誤りの産物でした。「ささげ物になりました」という言い訳で両親を敬う義務を回避することができたからです。これは律法の一つの部分を、律法を律法の他の部分で対抗するように作り、律法の本質を損なわせることでした。しかしパリサイ人たちはこれを伝統という名目で維持していました。しかし神様がイスラエルの民に律法を与えられた理由は、神様と隣人との正しい関係のためでした。私たちも伝統を言い訳にして神様が命じられた愛と献身から目を背けていませんか。伝統主義の弊害から脱し、みことばの本質を正しく悟り、実践する主の弟子となりましょう。

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