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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-01 2019年 2月号 3週次 365qt 684
マルコの福音書 3:31~35
だれがわたしの家族なのか
共同体の一致を妨害する態度のうち一つは「自分のもの」をまず取ろうとする態度です。ある人は「自分の家族」だけをケアし、顧みることによって、他の人たちをがっかりさせてしまいます。血縁によって結ばれている家族を優先することによって、自分も知らないうちに、間違った判断をしてしまうのです。クリスチャンであれば、自分が共同体に与える影響について、日々考えていなければなりません。イエス様も「だれがわたしの家族か」という質問を投げかけてこの部分について明確に語っておられます。イエス様が見せてくださった答えを根拠とし、共同体の一致と和解のため、私たちがどのような態度を持つべきか考えてみましょう。
1.イエス様のところに訪ねてきた人たちは誰でしたか。イエス様はこの知らせに対し、どのように言われましたか(31~33節)。
- イエス様の母と兄弟たちがイエス様のところに来た。この知らせを聞いたイエス様は、「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとは誰のことですか。」と言われた。
2.イエス様は誰を自分の家族であると言われましたか。イエス様がお語りになった家族の提議を通して私たちが分かることは何でしょう(35節、参照/ガラ1:4)。
-イエス様は神様のみこころの通りにおこなう者が、わたしの兄弟、姉妹、また母である、つまりは家族であると言われた。神様のみこころは、悪い時代から、神様の民を救い出すことである。みこころの通りに行うということはつまり、その救いの働きにともに加わるということである。それでイエス様は救いの働きに加わる者を、だれよりも大事に思われたということが分かる。
3.イエス様が本文で語られた家族の定義は、一般的な家族の定義とは違っていました。イエス様が肉親の家族を捨てられたのではないとすると、このようなみことばを語られた理由は何でしょうか(参照/マコ 3:21~22、25;ヨハ19:26~27)。
-イエス様が自分の家族を捨てようとされたのではない。イエス様は十字架にかかり、死なれる瞬間まで、ご自分の母のことを弟子に託されるほど、家族を大事にされていた。本文の状況 (さて31節)は、イエス様の親族たちがイエス様のことを「気が狂った」と思い、責め立てて、家に連れ帰ろうとして出てきたものであり、イエス様に反対する者たちがこれに同調し、イエス様に悪霊がついていると非難しているようなことが起こっていたわけである。イエス様が自分の家族を捨てようとしたというよりは、むしろ、神様のみこころの通りにおこなう者たちを自分の新しい家族として召し、 その家をしっかり堅固に建てようという目的によって語ったものと見ることが正当であろう。

4.神様は私たちを子として、一つの家の家族として召されました。神様が建てられた家を堅固にするために、肉の家族より、霊的家族をさきに支え、顧みようとされるイエス様の姿を見て何を感じますか(参照/ヨハ1:12、エペ2:19)。
-神様は私たちを神の子として家族として召された。イエス様は神様の家を建てるために、霊的な家族を優先的に考えられた。このことを通してイエス様が使命について、どれほど重要に考えていたのかが分かる。
- 自分は果たしてイエス様のように、使命中心に生きていたのか。点検してみる時間を持とう。
5.私たちは神様のみこころを優先にする霊的家族、共同体であり、私たちはその一員です。あなたは一つの共同体の中にいる人々に、愛で仕え、本当の家族として接していますか。
6.神様の家族になったほかの聖徒に対して、本当の家族のように接するところに妨害になる要素は何でしょう。このことを克服するために何を決断しますか。

クリスチャンは自分が属する共同体の構成員に対し、本当の家族として接することができなければいけません。このことのために、使命を重要視し、互いを愛する愛によって仕える心が優先とならなければなりません。今日のみことばの中で、主が見せてくださった姿は、肉親の家族をおろそかにせよという意味ではありません。共同体の中で出会う聖徒ひとりひとりを大事にし、この人たちに、愛によって仕えることのできる者となるべきだということが強調されているメッセージなのです。しかし振り返ってみると、共同体に召してくださった使命を重要視するよりも、個人個人の益に根差した判断をしたり、行動をしたりしてしまった場合が時々あるでしょう。主が与えてくださった共同体の中での出会いを重要に考え、神様のみこころを行うことに互いに力を尽くすクリスチャンになるために努力していきましょう。

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