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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-01 2019年 2月号 2週次 365qt 30
マルコの福音書 2:13~17
誰と交わりますか

マルコの福音書が記録したイエス様の公生涯は、出発から論争に満ちていました。2~3章を調べて見ると、イエス様は中風の人の罪を赦され、取税人と罪人たちと一緒に食事をし、断食と安息日を犯した者たちを攻撃するパリサイ人に対して正面から反論されました。このことを通して世の本当の主人はだれか、真理とは何かを悟らせました。またこのような教えを通して、自分がこの地上に来られた目的もはっきりと示されました。そうなら、今日の本文を通して主がどのような人を呼ぶために来られたか、彼らがどんな人生を生きたいと願ったのかを共に調べてみましょう。

1.イエス様はだれを弟子として呼ばれましたか。弟子たちと共に何をされましたか(14~15
節、参照/マタ9:9)。
- イエス様はレビ、つまりマタイを弟子としてついて来るように召されました。そして、彼の家に入って、彼と共に食事をされました。
2.パリサイ人と律法学者たちは、イエス様がレビと共に食事をしているということに対して、どのような反応を見せましたか(14、16節)。
-レビは取税人であり、彼と付き合う者たちは、パリサイ人たちの儀式の中では罪人とされる人々であった。パリサイ人たちはイエス様が取税人とともに食事をしながら親しくされていることに対して憤慨した。
3.律法学者たちが弟子たちに、イエス様が罪人、取税人と交わっていることを見て、攻撃的な問いかけをしていますが、なぜこのようなことをしたのでしょうか(16節、参照/レビ10:10)。
-パリサイ人たちは、取税人たちをイスラエルを裏切り、ローマの手先となった者たちだと考え、軽蔑の対象として見ていた。また誰かと一緒に座って食事の交わりをするということは、その人と親しい関係にあるということを示すことであり、そして関係的キャパシティーを表わすことであった。だから自分らを義人と考えて、他の人達を罪人と考えていたパリサイ人たちと律法学者たちは、レビ記のみことばを自分の思うままに解釈し、そのような人たちと交わることは、汚れた行為であると考えたので、このような質問をしたのである。
4. 律法学者たちの質問に対し、イエス様は「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と答えられましたが、なぜでしょうか。イエス様が答えられた罪人というのはどのような人々のことを意味しますか(17節)。
-
―イエス様は健康な者には医者が必要ではなく、病んだ者に医者が必要であると言い、わたしは正しい人を招くためにではなく、罪人を招くために来たと言われた。
- このみことばを通してイエス様はご自分がこの地に来られた目的をはっきりと示され、それは罪人たちを救うことであると明らかにされた。またこのみことばを通して、自分は義人である、健康な者であると考えている者に、実際はどんな存在なのかを悟ることを願われた。そのような者たちにあわれみを宣言することを願っておられた。
-イエス様が呼ばれた罪人たちは、自分の義を誇示し、自らを正しいと思う人ではなく、むしろ自分の弱さと罪悪を告白し、自分の病のような罪から救い出してくれる救い主の前でひざまずく人たちである。
5.あなたは自らを「医者の必要のない健康な者」と考え、イエス様の代わりに自分の義を握りしめるパリサイ人のような人生を生きていることはありませんか。
6.イエス様は義人ではなく、罪人を召され、みながのけ者にしていた取税人を弟子として召されました。罪人たちと共に食事をし、交わりました。このようなイエス様を見て、あなたと、共同体の姿がどのようであるべきなのか、互いに考えを分かち合いましょう。

イエス様は罪人たちを罪の中にそのまま放っておかれることはありませんでした。恵みによって義人としてくださったのです。取税人と罪人たちを友として呼び彼らの家に入り、共に食事をしながら、人格的交わりを持つことを願われました。イエス様が今の私たちにも同じ手を差し伸べてくださっています。ともに交わり、語ってくださっています。しかし自らの足りない姿のために、イエス様に出会うことを躊躇しているということはないでしょうか。また自分の義を主張して、弱さを持った者たちに、軽蔑のまなざしを送っていませんか。罪人である者を召されたイエス様の御手を覚え、私たちも共同体の中でイエス様が見せてくださった愛を与えることのできる者にならなければなりません。ただひたすら主がくださる喜びで満たされた共同体になるように、心から願います。

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