Korean | English | Japanese     
   
 
 
    Home > 小グループ聖書勉強のガイド    
 
Go and Make
disciples
of all nations!
   
 
  国際弟子訓練院
  弟子訓練とは
  弟子訓練 α&Ω
  セミナー
  図書及び資料
  掲示板
小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2019-02-01 2019年 2月号 1週次 365qt 70
マルコの福音書 1:1~8
謙遜に備える者

クリスチャンは、再び来られる主を待ちのぞみつつ生きる人々です。瞬間ごとに、いつ来られるか分からない主を望み、一日を生きても主の来られる道を備えて生きる人生がクリスチャンの使命です。しかし忙しい日常を生きていると、この使命を忘れてしまうことがあります。自分でも分からないうちに、気の合わない人との間に壁を作り、世の人と何ら変わりのない人生を生きても、罪の意識を感じることもできないこともあります。しかし主は私たちのこのような生活は望んでおられません。バプテスマのヨハネの生活を調べ、主の来られる道を備える者の生活がどのようでなければならないかを考えてみましょう。

1.マルコの福音書の初めのみことばはどのように始められていますか。福音の始まりを宣言し、引用した預言者イザヤのみことばに込められている内容は何でしょうか(1~3節)。
-マルコはマルコの福音書の初めの箇所を「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」と宣言して記し始めた。マルコは預言者イザヤのみことばを引用し、主の道を備え、来られる道を整えるようにというのが命令であることを示した。

2.バプテスマのヨハネは荒野でどのような働きをしましたか。この働きによってユダヤ全国とエルサレムにどのようなことが起こりましたか(4~5節)。
-バプテスマのヨハネは罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを伝えていた。ユダヤ全国とエルサレムの人々がみな彼のところに行き、罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けるということが起きた。



3. バプテスマのヨハネの服装と食べ物についてはどのように書かれていますか。このことを通して知ることのできる彼の生活の態度は何でしょう(6節、参照/レビ11:20~23、Ⅱ列1:8、ゼカ13:4)。

-バプテスマのヨハネはらくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
-バプテスマのヨハネの服と食べ物を通して、高尚なものなく、けわしい荒野で生きる禁欲主義者の預言はであることが分かる(参考/ゼカ13:4)/ その日、その預言者たちはみな、預言するときに見るその幻で恥を見よう。彼らはもう人を欺くための毛衣を着なくなる。)。
-服装の描写を見ると「毛で織った物」を着て、「腰には皮の帯を締め」とあるが、このことを通してバプテスマのヨハネをエリヤと同一視していると考えられる(参考/Ⅱ列1:8/ 彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。)。
- 食べ物については、いなごと野蜜を食べていたとあるが、特にいなごは、ゆるされたきよい食べ物として、禁欲生活をしている人たちに認められたものだと思われる (参考/レビ11:20~23/ 羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。
しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。
それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいなごの類、こおろぎの類、ばったの類である。 )。

4. バプテスマのヨハネがイエス様の来られることを知らせ、自分はイエス様のくつのひもを解く値打ちもないと告白したのはなぜでしょう。
-くつのひもを解く値打ちもないという意味をまず理解する必要がある。普通靴を脱がせることは、奴隷やしもべがする卑しい仕事であったが、ヨハネは自分をメシヤのしもべよりもっと低い者だと言っているのである。これは徹底して自分を低め、イエス様を表わす働きこそが、主の道を準備する生活であると考えたからこそ可能な宣言であった。
5.主の来られる道を準備する人にとっては自分を低くする生活の態度が必要です。主の来られる道を準備するために、あなたはどんな準備をしていますか。

6. クリスチャンとして主の来られる道を準備する謙遜な生活をするため、あなたが決断すべきことは何であるかともに分かち合ってみましょう。

バプテスマのヨハネは預言者イザヤのみことばに記録されているように、主の道を備える人でした。彼が荒野で罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣言し、数多くの人たちが罪を告白して悔い改めるということが起きました。このような偉大なことを行いつつも、彼は自分自身を、しもべより低い者だと告白しています。このようにバプテスマのヨハネは自分を立てるより、主を表わす生活、自分は死に、主を立てる生活をしました。どんなことをしてでも、自分をあらわそうと一生懸命な人たちとは、かけ離れた姿ですが、こんな生活こそが、主の道を準備するクリスチャンの真の姿であることを覚えなければなりません。あなたの生活の姿が主の来られる道をさえぎってしまってはいないか、主の御前で悔い改めの祈りをささげる一日になりますように。

目録