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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。

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2018-12-05 |
2018年 12月号 1週次 |
365qt |
909 |
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ピリピ人への手紙4:2~15 主にあって喜ぶ生活
どんな状況にあっても喜ぶということが果たして可能なのかという疑問が生じることがあります。全く出口の見えない状況に直面していたら、辛く悲しくなるというのが感情面での正常な反応でしょう。正直な感情は尊重されるべきであり、ときとしてそのような姿が、周りの人にとって慰めとなることもあるでしょう。しかし聖書はこれらすべてのことを超越して常に喜び感謝して生きる人生が可能だと言っています。人生の喜びを常に持ち続ける方法は何でしょう。パウロの手紙を通して、彼がどのように主にあってもいつも喜ぶことができたのか、共に考えてみましょう。
1.パウロはユウオデヤとスントケに何を勧めましたか。これを勧めたのはなぜでしょう (2節)。 - パウロはユウオデヤとスントケに主にあって一致した心を持つようにと勧めた。これはユウオデヤとスントケが持っていた葛藤に対して解決の方法としてパウロが提示した部分あった。パウロは、福音によって正しく生きることなしには、彼らは葛藤によって本当の喜びを味わうことができないので、これを解決するためには一致した心を持つべきだと勧めたのである。
2.パウロは主にあってどのような生活をするようにと勧めましたか。この生活をしっかりと守るためには、どのようにしなければならないと言っていますか(4、6~7節)。
-パウロは主にあっていつも喜びなさいと勧めた。
-パウロは、このような喜びを守るため、何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りと願いによって願い事を神様にしっていただくようにと話した。まさにこのような生活が後ろ盾となるとき神様の平安が主にあって私の心と考えを守ってくれる。このような祈りと願いは、喜びを保つために必須十分な条件となる。
3.パウロがピリピ教会の聖徒たちを見ながら主にあって非常に喜んでいる理由は何でしょうか(10節)。
- パウロはピリピ教会の聖徒たちが、パウロのことを心配する心がよみがえってきたことで喜んでいる。 -これはパウロに対して同労者の思いを示してくれたことと解釈することができるが、パウロは何よりも自らの働きに賛同してくれる人々がいたということだけでも喜ぶことができた。状況的にみると喜べる状況ではなかったが、ピリピ教会の聖徒たちが福音宣教の働きに関心を持ち、そのようにしてくれることだけでもパウロにとっては、大きな喜びとなったのだ。
4.パウロが牢に捕らえられているにもかかわらず、強くしてくださる方によってどんなことでもできると告白したのはなぜでしょう(13節)。
-パウロは徹底して自分の状況に飲み込まれず、使命中心の人生を生きた。パウロはあらゆる状況にあって満ち足りることを学んだと言ったが、これは環境次第で右往左往する生活ではなく祈りと願いによって神様が下さる恵みによって生きることができるという意味だ。だからパウロは使命中心の生き方をだれよりも喜んでいた。このような生活を自分だけでなくピリピ教会の聖徒たちもできるように願っていたので、こう告白したのである。
5.パウロの生活は使命中心であった。あなたもパウロのように使命中心の生活をすることだけで喜ぶことができるだろうか。
6.自分の直面している状況と関係なく満ち足り、喜べる道を悟るために決断することは何か。 共に考えてみましょう。
パウロは豊かであっても、貧しくても、迫害にあっていても、富んでいても、どんな状況であっても満ち足りることのことを学んだと告白しています。これは彼が環境によって左右されず、ただ主がくださる使命によって生きる者であるということを意味しています。その生活を通して、私たちもまた、状況ではなく主がくださる力を得て生きる時、本当の喜びを味わうことができるようになるという事実を悟ることができます。神様から受けた使命を自分の力で果たそうとするなら、決して喜びを持ってそれを担うことはできません。すべての状況を知っておられる神様がくださる力を頼みにして生きる主の弟子となることを願いましょう。
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目録
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