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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2018-10-29 2018年 11月号 4週次 365qt 49
ピリピ人への手紙 3:1~9
最も高い知識

知識を得ることは現代人たちにとって、もっとも重要な徳目のうちの一つとなっています。だれもが時代に乗り遅れないようにするため、知識の習得に一生懸命になっているのです。しかし聖書は最も高い知識は他のところにあると言っています。そして世のどんな知識よりも重要な知識がクリスチャンには必要だと言っています。聖書が語る最も高い知識とは、罪と悪の世でクリスチャンたちが生きて行くにあたって絶対的な基準となります。今日の本文を通して、パウロが強調する知識とは何か、ともに調べてみましょう。



1.パウロはピリピ教会の信徒たちに何に気を付けるように忠告していますか。それと同時にどのように行動するように勧めていますか(2~3節)。
-犬に気を付けて、悪い働き人に気を付け、肉体だけの割礼の者に気を付けるよう話した。
-ここで「犬」と言われているのは、「聖なる共同体を間違った教えで汚す者」を意味し、文脈上「ユダヤ律法主義者」を意味する。「悪い働き人」も行いに頼って救いを受けようとするユダヤ律法主義者のことを指す。「肉体だけの割礼の者」は「肉を切断すること」を意味しており、外的な痕跡を強調する「割礼」を意味する。パウロは間違った教えを伝える律法主義者たちと悪い者たちを遠ざけて、割礼を強調する間違った信仰を遠ざけるように話している。

- パウロは 1)神の聖霊によって奉仕し 2)キリスト・イエスによって誇り3)肉体を頼りにしないようにと語っている。パウロがこのように話した理由は、当時ピリピ教会に割礼を強調する律法主義者たちが、歪曲した救い観を伝えていたからだった。割礼は、救いの前提条件ではなく、律法を守ることを誇るのではなく、ただ、イエス・キリストを誇りとしなければならないことをしらせている。

2.パウロは自分をどんな人として紹介していますか。このように詳しく知らせているのはなぜでしょう(4~6節)。
-パウロは自分が八日目の割礼を受けた人で、イスラエル人であり、ベニヤミン族であり、きっすいのへブル人と紹介しています。そしてパリサイ人として、教会を熱心に迫害し律法を徹底的に守ったと話している。
-パウロは自分がユダヤの律法主義者たちに比べて不足な部分がないことをピリピ教会のメンバーに説明しようとしていた。彼らのように割礼を受け、両親がへブル人である純粋な血統をもつヘブル人であり、他のパリサイ人のように、律法を守ったという内容を通して、出身背景や宗教的熱心において彼らより劣るところがないということを示した。そしてユダヤ教的観点から律法を徹底的に守ってきたことに傷がないことを証明している。

3.パウロは過去とは異なる現在の自分の考えをどのように話していますか。パウロの考えがこのように変わったのはなぜでしょう(7~8節)。

-パウロは自分が過去に得だと思っていたすべてのものを皆、損だと思っていると言っている。ここで、「得」と言っているものは、先にパウロが言及したすべてのこと (出身身分、宗教的熱心など)すべてを含んでいる。パウロがすべてのことを「損」と思うようになった理由は、そのすべてのことが、キリスト・イエスを知ることに何の役にも立たない知識であるからだ。
-パウロがすべてのことを「損」と思っていると語る理由は、キリストによってその価値観に根本的な変化がおこったからである。彼は過去に自分にとって「得」だと思っていたものが、キリストを信じる信仰によって得ることのできる道をむしろさえぎる役割をするということを知ったのである。


4.パウロが考えた最も高い知識とは何でしょうか。その知識が最も高いと言われる理由は何でしょう。
  -パウロはイエス・キリストを知る知識がもっとも高い知識であると告白している。
-イエス・キリストを知る知識が最も高いと言う理由は、その知識を基盤として、イエス・キリストを信じる信仰を通して神様から出た義を得るに至るからである (9節)。イエス・キリストについて知り、関係をもって、救いに至ることが最も高貴なことだからだ。


5. パウロが語る最も高い知識を生活の最も重要な知識だと考えて、義を得るために努力していますか。
6.イエス・キリストを知る知識は世のどんな知識とも比較することはできません。このような知識を生活のなかで良くあらわすために、どんな努力をしなければならないか、具体的に決断する時間を持ってみよう。

イエス様に出会って変えられたパウロはピリピ教会の聖徒たちに手紙を書いて、自分にとって得だと思っていたすべてのことをちりあくたと思うようになったと告白しています。これはそのすべてのことが、キリスト・イエスを知るところに何の助けにもならず、ただ「キリスト・イエス」を知る知識がもっとも重要であり高いものであると気づいたからでしょう。世のどんな知識も、人類の罪を贖われたイエス様を知る知識より重要ではありえません。もしほかの知識をもっと重要に考えて、それを追従しているなら、それは完全なクリスチャンとして生きいないという反証になることを悟らなければなりません。「キリスト・イエスを知る知識」は世の何とも代えることのできない絶対的で究極的な知識です。生活の中で、キリストを知っていくために絶えず努力する主の子どもとなることを望みましょう。

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