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小グループのガイド

月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。


日付 題目 お名前 投稿数
2018-09-28 2018年 10月号 2週次 365qt 866
レビ記 19:9~18
神の愛と隣人愛

罪によって堕落した世では多くの痛みがあります。その痛みは社会のあらゆるところに蔓延している、隣人愛の欠如にあらわれています。社会でも、外国人労働者たちが不当に搾取され、社会的弱者たちは公正な判決を受けられず、正当な労働の代価が受け取れないまま、解雇される場合が数多くあります。このような世にあって、クリスチャンたちが実践すべきは、神の愛と隣人愛です。本文のみことばを通して、神様が語られる隣人愛とは何か、このことを自分の生活にどのように適用するか考えてみる時間を持ちましょう。


1.神様が貧しい人と在留異国人、社会的弱者のため、イスラエルの民に命じられたことは何でしょう(9~10、13~15節)。
-神様は貧しいひとと在留異国人のため、イスラエルの民が、畑の隅々まで刈り取り、地に落ちた落穂と実まですべて収穫してしまうことを禁じられた。また、社会的弱者たちのため、彼らを抑圧したり、搾取したりしないようにされた。日雇い人の賃金を渡さないようなことがないようにされた。耳の聞こえない者や、盲人のような身体的障害がある人達が守られるようにし、また弱者たちが不公平なさばきをうけないようにされた。


2.神様は隣人愛をどのように実践するように言われましたか(18節)。
-自分の隣人を愛するとき、自分自身のように愛するようにといわれた。

3.神はなぜ穀物を収穫するとき、畑の隅までみな収穫せず、落ちた穂と実をみな収穫せず残しておくように言われたのでしょうか。
-神様は貧しい人たちと、在留異国人のような、自分の土地がない人たちが、自分たちの糧を得られるように、また困難な境遇の中にある人たちも、貧しい人を助けることができる道を開いておかれたのである。貧しい人たちと在留異国人たちは、物乞いをして、恥を受けたり、自分たちの労なしに無償で糧を得たりするのではなく、畑に残された落穂などから、人々の分かち合いの心を通して、自立ができる道を見出すことができたのだ。また物質的困難によって貧しい人たちと、自分の土地のない在留異国人たちが盗みをする誘惑を避けることができる道を作ることにより、すべての人達がともに生きることができるようにされたのである。
4.神様が社会的弱者と隣人に対する命令を与えられ、「わたしは主である」と繰り返して言われた理由は何ですか。
-神が神であられることがすべての隣人愛の根幹であり、基礎であることを表しておられる。神様を愛することと恐れることが隣人愛の始発点と動機になることを知ることができる。私たちが、神様を恐れないで、認めないままに行う隣人愛は、本当の意味で隣人愛とはならず、自己愛の拡張にしかならないことを黙想できる。また隣人愛を行うことによって神様の栄光があらわされ、神様の偉大さをあらわすことができるということを悟った。

5. 私たちは社会的弱者の必要を顧み、彼らの困難から目を背けないため、どんな努力をしていますか。
6. レビ記にあらわれる隣人愛の姿の中に、自分がもう少し積極的に実践しなければならないことは何でしょう。あなたと、あなたの属する共同体を通して、隣人愛をどのようにあらわせるか、分かち合ってみましょう。

私たちの中に、他の人の助けと愛なくして、存在できる人はだれもいません。弱者と隣人を愛せよと言う神様の命令に従順に従う道だけが、堕落し、崩れた世において、勝利できる唯一の方法です。まさにこの命令を自ら実践された方が、主イエス・キリストです。私たちもまた、主の弟子としてこの愛を実践しなければなりません。だからイエス様から受けた愛を実践するため、隣人愛をもって隣人を抱き、社会的弱者に深い関心を持たなければなりません。神様を愛すると言いながら、隣人愛には無関心でいることはないでしょうか。神様はこのように言われます。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。

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