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月刊QT誌(日ごとに湧く泉)の 小グループ聖書勉強のテキストとガイドが見られます。
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2018-08-31 |
2018年 9月号 5週次 |
365qt |
838 |
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レビ記 16:23~34 罪の贖いの恵みを味わう生活
ドストエフスキーの『罪と罰』は罪の問題で苦しむ人間の姿を非常に優れた技法で描き出している作品です。主人公であるラスコーリニコフが殺人を犯してしまい、自分の罪を解決するために苦悩する姿は、人間自ら罪の問題を解決できないことをはっきりと表しています。荒野の生活をしていたイスラエルの民も、罪の問題を解決できず、神様とともに歩むことができない状況に置かれることとなりました。神様はこのようなイスラエルの民の罪を赦し、ともに歩むことのできる道を開いてくださいました。この恵みの過程を本文を通して見てみましょう。
1. 主なる神様は、アロンとイスラエルの民に何を命じられましたか。彼らに何を約束されましたか(29~30節)。 -神様は第七の月の十日に外国人を含むすべての民が身を戒め、どんな仕事もしないようにと言われた。祭司が民のためにささげ物をささげる贖いの儀式を守り行うようにと、主が命じられた。 -神様はその日、民の罪を赦してくださり、きよめを約束された。
2.神様は罪の贖いの日にイスラエルの民に何の仕事もしてはならず、自らの身を戒めるようにと言われたが、このみことばはどのような意味でしょうか。これを守らなかった場合、どのような結果になるでしょうか(参照/ 23:29~30)。
-第七の月、十日は、安息日で、罪の贖いを守る日であるため、主は、民に自分自身を振り返り、反省することを願われる。だから何の仕事もしないようにせよと言われた。 -「身を戒め」というのは断食し、思いを巡らすことだと見ることができる(参照/詩 35:13)。神様は自らの身を戒めなければ、民の中から断たれて、滅亡させられると言っておられる(出 23:29~30)。 3.神様は何のために罪の贖いの儀式を行うように言われたのだろうか(33節)。人だけでなく至聖所のような場所を贖うようにというみことばは何の意味だろうか。 - 神様は父なる神の代わりに祭司の職分を遂行する、大祭司が民と会衆のために贖罪をするだけでなく、至聖所、会見の天幕、祭壇を贖うようにと言われた。 -律法によれば、きよくない人(ツァラアト、漏出を病む者)がとどまった場所も汚れているとされていた。イスラエルの子らのけがれによって、天幕は汚れた場所となっており、彼らの罪によって、ただ大祭司だけが1年に一度だけ罪のためのいけにえのために出入りする至聖所でさえ贖いが必要な状況になっていた (レビ 16:16)。もし天幕が汚れていたり、罪によって汚されていたら、神様は自分の民を殺したり、民から離れたりしなければならなかった (参照/出 33:3、5)。それで神様が住まわれる天幕をきよめるために、贖いをするように命じられたのである。 4.イスラエルの民と、宿営をきよめる贖いの日はどれくらいの頻度でありましたか(34節)。自らの力で罪の赦しを受けたり、きよめられることができないイスラエルの民のため、贖いの日を作ってくださった神様を見て何を感じますか。
5.私たちの罪をきよくするため、イエス様を遣わしてくださった神様の恵みを経験したことはありますか。 6.神様が与えてくださった贖いの恵みを覚え、神様と常にともに歩み、生きるために決断すべきことは何か分かち合ってみましょう。
罪の贖いの日は神様がイスラエルの民と共に歩み続けられるように与えられた恵みの日です。イスラエルの民は贖いの日にすべての罪を赦されて、すべての事からきよめられ、これを通してきよい神様と共に歩み、死なずに生きることができます。神様はイエス様を遣わし、十字架で永遠のささげものをささげさせてくださいました。そしてこのいけにえを通して私をきよめてくださいました。贖いの恵みによって、私たちが古い人の姿を脱ぎ捨て、新しい人となり、神様と永遠にともに生きることができるようになったのです。神様が与えてくださる贖いの恵みを覚え、感謝し、人生のすべての領域において奉仕のささげものをもって聖さを維持するために努力する弟子となれますように。
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目録
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